さよならぼくのともだち | Get Up And Go !

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より高く! より深く! けれど優雅に・・・ 冗談も好きなんですけどね (*゚.゚)ゞ





森田童子についてを記事にした翌日に、あんなふざけた内容の記事にしてしまい少し後悔しています。 最近は自分でも人格分裂気味であるのを多々感じることもあり、「ふざけているのかまじめなのかわからない」 などと、女友達にも指摘されるありさま。 少々困った奴になっています。 音楽の嗜好については、昔からかなり分裂気味でしたけどね。


高校時代、山崎ハコを聴いているクラスメイトが、 「暗いね」なんて周囲に言われていましたが、森田童子の場合は 「聴いている奴いるの」 なんてほどにマイナーな存在でした。 金のない高校時代は、クラスでそれぞれがレコード及びテープの所有リストとか作って、みんなで貸し借りをしていたのですが、森田童子って記憶がないのです。

音楽室で行われた、軽音楽愛好会主催の文化祭コンサートで、森田童子の 歌ばかりを好んで歌っていた同級の女の子がいて、彼女が歌っていた 「さよならぼくのともだち」 を聴いて感動し、その子に森田童子というシンガ・ソングライターのことを教えてもらったのです。 森田童子は無口なことで知られていますが、その子も驚くほどに無口でした。 童子の歌の世界を捉えていたわけだから、早熟なひとであったことが今になってわかります。






森田童子の歌には、60年代末から70年代初頭の、学生運動が盛んであった時代の 「ともだち」 が多く出てきます。 熱かった政治の季節に出会った友達に、やさしく寄り添うようにして歌い、またあの時代を背負っているようにも聴こえます。

僕が高校生の頃は、学生運動なんてとっくに終わっていましたが、通っていた米軍基地に隣接する都立高校は、かつて学生運動が激しかったようで、運動によって生徒が勝ち取った 服装自由(制服廃止) という、あの時代の足跡が残る高校でした。 森永博志は先輩にあたります(あのひとは中退ですが)。






今も大切に保管している当時のカセットテープの中に、森田童子のものが3本も残っていて、けっこう熱心に聴いていたんだなぁ、とわかります。僕は左翼運動に関わったことはありませんが、一時その思想にかぶれていたことはあります。 国語の先生に、現在であったら間違いなく問題となるであろう、天皇制反対の声をあげるほどの極左の先生がいて、その先生にはいろいろな意味で多くのことを教わったのですが、若い頃に傾注する左翼思想って一種のはしかであると今は思っています。

1983年に引退となっていますが、引退宣言をしたわけでもなく、「そういえば森田童子って最近どうしているの」 なんて、数年後に誰かと話したことを記憶しています。時代は80年代ですからね。 今風に書けばおそらくは、森田童子 (笑) だったでしょう。






森田童子の名前をすっかり忘れていた90年代、テレビドラマに使用されているのを知った時には、「やめてほしい」 と思いましたよ。 彼女は作品がメジャー化されるのを嫌っていたと言うし。

彼女の歌の登場人物たちの、あの時代の青春たちを、やすっぽくテレビドラマなんかで使ってほしくない、というのがその時のぼくの気持ちです。 難しく考えすぎなんじゃないの、と思う方もいるでしょうね。 だから、曲がヒットとなった後、彼女がいっさい公に姿をあらわさなかったことには感謝したい気持ちなのです。 誰もが神々を地に堕とし、自分の手元に引き寄せ俗物化して食い尽くす、嫌な時代になっていましたからね。

音楽関係者の 「公表するつもりではありませんでした」 の言葉には、彼女の作品への愛と、あの特別な時代の青春たちをそっとしておいてあげてほしい、という想いがあると信じています。