オーティス・ラッシュの日 | Get Up And Go !

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今日は世界にとって (日本にとっても) 重要な会議のある日のようです。 でもそれはそれとして置いておいて、僕にとってはオーティス・ラッシュもまた重要なんですよ。(^ε^)♪

2016年6月12日。 33回目のシカゴ・ブルース・フェスティバルの最終日。「OTIS RUSH TRIBUTE」 と題された、総勢30人の出演者によって行われたこの日のメインステージでのライヴの最後、車椅子に座ったオーテイス・ラッシュが、マサキ夫人と娘、孫たちを伴って登場。 そしてそこでエマニュエル・シカゴ市長が、この日を 「オーティス・ラッシュ・デイ」 にすると宣言しました。 ラッシュはシカゴ市にとって今や名士なんですね。

オーティス・ラッシュは1934年、ミシシッピー州フィラデルフィア出身。48年にシカゴに移住しています。 この頃というのは、南部の黒人たちの多くが労働をもとめて都市部に移動した時期なんですね。

シカゴに移住して数年後、クラブでマディ・ウォーターズ等の演奏を初めて聴いた時、「これしかない!」 と衝撃を受け音楽を志すに至ったそうです。 マディ・ウォーターズの演奏というのは、南部のダウンホーム・ブルースを電化してバンド・スタイルで作り上げた、いわゆるシカゴ・スタイルのブルースです。




OTIS RUSH / I Can't Quit You Baby (1966)
American Folk Blues Festival '66. in Germany   一般には、レッド・ツェッペリンのカヴァーの方が知られています。


マディー・ウオーターズよりもずっと若い世代となるラッシュのブルースは、同年代であるバディ・ガイやマジック・サム等とともにウエスト・サイド・サウンドと呼ばれています。 B. B. キングのようなモダン・ブルースからの影響も受けていて、当時のシカゴのシーンでは新世代のブルースと言われたわけです。 ラッシュ、バディ・ガイ、マジック・サムは、ステージ上で互いの実力を磨き合い、ステージを離れても共に行動することが多かったそうです。

日本では、一般的にB. B. キング、アルバート・キング、フレディ・キングの3大キングやバディ・ガイほどには知られていないラッシュですが、米英のロック・ミュージシャンたちには多大な影響を与えています。

エリック・クラプトンは、ブルースブレイカーズ時代から何曲もラッシュの曲をカバーしているし、レッド・ツェツペリンまでもがカバーし、ジミー・ペイジはラッシュのギター・フレーズを取り入れたりしています。 スティーヴィー・レイ・ヴォーンのバンド、「ダブル・トラブル」 はラッシュの曲名から付けたものです。




OTIS RUSH and ERIC CLAPTON / All Your Love
Live At Montreux 1986. クラプトンはブルース・ブレイカー時代にこの曲をカバー。 クラプトンとの共演ライヴ映像なんか出すなよ! と言うブルースファンがいるのはわかっています。 でも、僕はクラプトン好きなので。


左利きでありながら、右利き用のギターをそのまま引っくり返して弾くギター・プレイは独特のニュアンスを生み出し、そして歌がまた凄くいい! ゴスペルを通過したスタイルで、感情過多とも言えるほどにエモーショナルに歌い、その歌に呼応するようにギターでまた盛り上げる。 それがラッシュのスロー・ブルースのスタイルです。

ここからは個人的な話です。
1997年にシカゴを旅行したさい、ラッシュさんに会うことが出来ました。 場所は、シカゴのブルースラウンジ 「B.L.U.E.S.」。 一緒に旅行した誰かが菊田俊介さんと知り合いだったらしく、菊田さんを介してのものでした。 ラッシュの奥さんは日本人であるし、ラッシュも日本人にはすごく好意的なのです。 シカゴでオーティス・ラッシュに会った、と言う話は日本でもよく聞きますね。

「B.L.U.E.S.」 ってライブバーなのですが、ステージ裏が小さな玉突き場になっていて、そこで会ったのです。 僕はと言えばただただ緊張。 ヘタクソな英語で色々話したようですが、憶えているのは 「Respect」 を連発したことと、ラッシュさんが笑いながら 「O.K、O.K.」 と言っていたこと。 恥ずかし~ (;^_^A




ラッシュにもらったサインと名前入りのピック。
ツーショット写真は額に入れて部屋に飾っています。



日本でラッシュと言えば、これはもう近藤房之助さんですね。 ブレイクダウン時代には、86年のラッシュ日本公演をバンドでサポートしていて、影響と言う言葉ではとても足りないほどのものを貰ったそうです。

僕がラッシュを聴くようになったのは、実は房之助さんの言葉からです。 90年代はじめ頃、キング・レコードがシカゴのブルース・レーベル、アリゲーターと発売契約を結んだため、コンベンションと呼ばれる宣伝会議を開いたのですが、当時某CD店でバイヤーをしていた僕はそこに招待されたのです。 と言うか、自ら手を挙げて出かけていったのです。

コンベンションと言っても、付いていた会議名が 「ブルース研究会」。 アリゲーター・レーベルのブルースマン、ハウンドドッグ・テイラーの秘蔵フィルムとか見せられて、「こんなマニアックな宣伝会議って許されるの?」 なんて思いましたが、そこはCD売り上げが右肩上がりで急上昇の時代。 遊びも許されたのでしょう。

そしてゲストとして招かれた 「講師」 が近藤房之助でした。彼はもちろんアリゲーターの宣伝もしていましたが、ラッシュの話をし始めると、大きな声でのほとんど自慢話状態。 いやぁ 面白かったです。

というわけで、実はその日が僕にとっての 「オーティス・ラッシュ・デイ」。 こんなオチでいいのでしょうか σ(^_^;)




OTIS / RUSH / Groaning The Blues (1957)
オーティス・ラッシュは、コブラに残した録音が最も濃いいブルースです。








BUDDY GUY & OTIS RUSH