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今日は2月21日。 2日も過ぎてしまいました。 記事にしていたら、途中でオリンピックを見始めてそのまま放置。 ボツにしようかとも考えましたが、このところ記事更新していないので、一応完成させてアップすることにしました m(_ _ )m
2月19日が 「プロレスの日」 であると言うのは、1955年のこの日に日本で初めての本格的なプロレス国際試合が開催されたことに由来しているとのこと。力道山・木村組対シャープ兄弟のタッグマッチが、蔵前国技館で行われたのだそうです。
日本の戦後史のドキュメンタリー番組が放映されたりすると、この試合が放映された街頭テレビに多くの人が集まって観戦している場面が、よく挿入されたりするでしょ。 それにしても、あんな小さなテレビに凄い数の人が群がっていて、ちゃんと見れたんですかねェ。(゚ー゚;
JIGSAW / Sky High
ミル・マスカラスは、メキシコの覆面レスラー。「千の顔を持つ男」 のニックネームどおり、試合ごとに覆面を変えていましたが、そのあたりが子供にとってはたまらなくかっこいいいわけです。 フライング・ボディ・アタックとかの空中殺法を得意とするマスカラスにとって、ジグソーの 「スカイ・ハイ」 は、うってつけのテーマ曲であったと思います。 初代タイガーマスクとの対戦を見てみたかったです。
子供の頃から、プロレスはテレビでよく見ていましたよ。 て言うかみんな見ていたと思う。 昔はゴールデンタイムに放映していましたからね。 僕は新日本プロレスのアントニオ猪木が好きでしたが、僕のじいちゃんは全日本のジャイアント馬場のファンで、テレビに向かって本気で怒り、本気で叫んでいたのをよく憶えています。 おじいちゃんの興奮の度合いがハンパではなかったんですよ。(゚Ω゚;)
最近でも夜中に放送している新日本プロレスとかたまに見たりするときあります。見事にデザインされた美しい筋肉と、髪形バッチリの若手レスラーたちによって繰り出されるアクロバティックなとんでもないワザの数々を見ていると、プロレスも変わったのだなぁ、とつくづく思います。
僕のプロレス原初体験って、噛みつき魔のフレッド・ブラッシーとか、鉄の爪フリッツフォン・エリックとか必ず流血がともなう試合で、流血なしであったとしてもデストロイヤーに4の字固めを極められて悶絶するレスラーとか、なんだか泥臭いシーンばかりなのです。 まぁ昭和のプロレスですね。
でもアントニオ猪木が新日本プロレスを立ち上げて、ストロング・スタイルのプロレスを標榜してから、ファンのプロレスの見方が変わっていったのかなぁ、と思います。
クリエイション / スピニング・トー・ホールド
テリーとドリーのザ・ファンクスは、クリエイションの 「スピニング・トー。ホールド」を入場テーマ曲として使用。 ザ・ファンクスは外人レスラーであっても、いわゆるヒールではなくて善玉、日本でも人気があったのです。
この曲のギター、昔 必死でコピーしました。 バッキングもソロも色んな小技が散りばめられていて、ギター弾きにとっては技術習得にとても役立つ曲なのです。 難易度の高い曲ですけどね。
炎のファイター ~ INOKI BOM-BA-YE ~
俺らの世代にとっては、プロレスと言えば何と言ってもアントニオ猪木なのです。 僕が中学から高校生の頃、猪木は 「異種格闘技戦」 と呼ばれる、柔道家、空手家、ボクサーなどとの闘いを敢行。 次々と撃破していったのです。 当然ながらクラスでも 「次は誰とやるのだろう」 という話で盛り上がるわけですね。
そのいくつかの試合には、実はブックと呼ばれるシナリオもあったようだし、厳しいルールに縛られてほとんど噛み合わなかったモハメッド・アリ戦のような試合もありましたが、あの頃はホントにワクワクしました。
「異種格闘技戦」 のベストバウトは、オリンピック・チャンピオンの柔道家、ウィレム・ルスカをバックドロップ3連発でKOした試合でしょうかねぇ。
炎のファイター ~ INOKI BOM-BA-YE
この曲を聴くと、やっぱり血が踊りはじめます。 「ボンバイエ (BOM-BA-YE) 」 には「やっちまえ!」 の意味があるらしい。モハメッド・アリから贈られた曲 「ALI BOM-BA-YE」を、「猪木のテーマ」 としてアレンジしなおした曲です。
2月20日は、アントニオ猪木、75歳となる誕生日でした。
イノキ、ボンバイエ!