
J. ガイルズ・バンドの元リーダーでギタリストのJ.ガイルズが、4月11日、アメリカ・マサチューセッツ州の自宅にて亡くなりました。 享年71歳。
2000年代に入ってからは本格的にジャズに取り組み、ジャズ・アルバムを2枚リリース。 健康であれば、71歳という年齢はむしろプラスに働いたと思える音楽であるし、まだまだギタリストとしては良いプレイを出来たのではと・・・残念ですね。
J.ガイルズこと、ジョン・ウォーレン・ガイルズ・Jrが、ピーター・ウルフ (vo) やマジック・ディック(hca)らと、ボストンでJ.ガイルズ・ブルース・バンドを結成したのは1967年のこと。 69年にセス・ジャストマン (key) が加わった後は、83年にピーター・ウルフが脱退するまで、不動のメンバーで活動したバンドです。
バンドが人気となったのは、当時ミック・ジャガーとも比較された、ヴォーカルのピーター・ウルフのワイルドな魅力によるところが大きかったとはいえ、"アメリカのローリング・ストーンズ" と呼ばれたのには、バンドの音楽の土台にブルースやR&B、ロックン・ロールがどっしりと根付いていたというのもあると思います。
J.GEILS BAND / Struttin' With My Baby (1973)
J. ガイルズがハモニカ・プレイヤーのマジック・ディックと出会ったのは1966年。 シカゴ・スタイルのブルースや、コンボ・ジャズにも傾倒していた二人は意気投合し、バンド結成へとつながっていったとのこと。
J.ガイルズのギター・スタイルというのは、ブルースやロックン・ロールが土台としてあります。 派手なプレイをするでもなく、残されたライヴ映像を見ると動きも少なくて地味な印象です。 ただブルースに対する敬愛ぶりには深いものがあります。 マジック・ディックと出会った頃は、地元ボストンのクラブを訪れたバディ・ガイやジュニア・ウェルズらとステージで共演したりして、そんな風にしてブルースを吸収していったようです。
例えばポール・バターフィールドなどは、自ら黒人のコミュニティーに飛び込み、マディ・ウォータースやハウリン・ウルフと知り合いになりブルースを学んでいったそうだし、スティーヴィ・レイ・ヴォーンも、地元テキサスを訪れるブルースマンに近づいて、"本物" を学んでいったわけで。 そんな話は探せばいくらでも出てきそうで、そのあたりがイギリスとアメリカの白人ブルースプレイヤーの違いでしょうか。
J.GEILS BAND / Whammer Jammer (1977)
「Whammer Jammer」 というインストナンバーが、個人的にはおそらく初めて聴いたJ. ガイルズ・バンドの曲です。 FEN という在日米軍放送のある番組のエンディング・テーマで使用されていて、中学時代ぐらいからもう耳タコの曲でした。 その曲がJ. ガイルズ・バンドの曲であると知ったのはずっと後なのですが。
ストーンズよりもブルースハープがフィチャーされているところが、2つのバンドの違いでありJ.ガイルズ・バンドを強く印象付けている要因とも言えるんですかね。 肉厚でパワフルなマジック・ディックのブルースハープに、それを支えるJ. ガイルズの堅実なプレイ。 さらに、マディ・ウォータースをアイドルとして崇めていたというピーター・ウルフの黒っぽくワイルドなヴォーカル。 後にポップな大ヒット曲は出しますが、最高であったと言うこの時代のライヴを見たかったなぁ、と強く思いますね。
J.GEILS & MAGIC DICK / The Jumpin Blues (1996)
1996年発表、J.ガイルズ & マジック・ディックによるアルバム 『Little Car Blues』 からの曲。 ハープとギターのユニゾンによってホーンセクションのような効果を出しています。
路線変更と言ってもよいのか、78年のアルバム 『SANCTUARY』 からポップで洗練された音へと変化しはじめ、81年のアルバム 『FREEZE FRAME』 からのシングル 「Centerfold (堕ちた天使)」 というポップな楽曲が大ヒット。 チャートでもNo.1となります。
80年代洋楽世代の方は、この曲を聴くと当時の洋楽テレビ番組 「ベストヒット USA」 を反射的に思い出すかもしれません。 その後もテレビCMで何度か使用されている、みんなが知っている曲となりました。 テレビCMにはうってつけのキャッチーな曲なんですね。
ゆえに、いわゆる本物のロック・ファンの中には批判的なひともいたわけで。 まぁ 「堕ちた J. ガイルズ」 ってわけですね。 路線変更で売れたバンドって他にもいました。 例えば、フリートウッド・マックなどもブルース・ロックからの大転身です。 僕はもともとポップなな音楽性を持ったバンドも大好きです。 振り子の両極端で揺られるのが好きな変態的音楽性なので、ポップなJ.ガイルズもOKなのです ♥
あまりに売れると、バンド内にはたいてい音楽の方向性についての問題が生まれてきます。ピーター・ウルフは83年にバンドを脱退。 看板を失ったバンドは85年に活動を停止します。99年の再開まで14年を要することになります。
最後は、大ヒットによって功罪を生んでしまった 「堕ちた天使」 はやめにして、個人的には『FREEZE FRAME』 中では最も好きな曲、本来は最初にシングルカットされるはずであった 「Angel In Blue / 悲しき天使」 を、J.ガイルズへの追悼曲としたいと思います。
R.I.P.
J.GEILS BAND / Angel In Blue (1981)
キーボードのセス・ジャストマン作詞/作曲。 この曲や「堕ちた天使」 などのキャッチーな楽曲は、セス・ジャストマンのセンスによるもの。