ポール・マッカートニー、11年ぶりの来日公演まであと2週間ほど。「いよいよ来るんだな」 というワクワク感が日増しに強まっていくような感じです。
今回は1990年の来日公演を思い出しながら記事にしたいと思います。
ビートルズのメンバーとして来日しコンサートを行ったのが1966年。90年の来日公演はそれ以来のこと。ソロになってからは初めての来日公演となりました。正確には75年と80年に公演が中止となっているので、3度目の正直となったわけですが。
ポールは93年と02年にも来日公演を行っていますが、個人的にはこの2回は行ってません(この時期、ブルースやソウル、ジャズにのめり込みすっかりビートルズから離れていた)。でも90年の時は3回観ているのです。80年の時の中止による悔しさもあったし、前年に発表されたアルバム 『FLOWERS IN THE DIRT』 がとても良い作品だったこともあり、とにかく行きたかったんですね。
チケットはどこかに保存したまま行方不明。けれど会場で購入したパンフレットにはその公演日の日にちが印刷されたカードが封入されており、記念として残るという計らいになっていました。そのカードには March 7 と記されているので、最初に行った日はどうやら3月7日(公演3日目)だったようです。デザインはポール得意のビックリ顔です。(何であの顔を使うかね)。
公演日程は3月3日、5日、7日、9日、11日、13日 と計6回、すべて東京ドームで行われており、一日置きの日程になっていました。この一日置きというのは、来日公演の直前に行われたアメリカ公演でポールは体調を崩し、健康面を配慮して当初の日程を変更したことによるものです。来日公演中止の可能性もあったようですが、ポールの強い意向により回避されたとのこと。
今回の来日公演も、気になるのは70歳を超えたポールの体調面です。
日程変更によって公演が中止となった日が出たため、その代わりのような形で9日のコンサートは 全国の主要都市の会場に人を集め、衛星生中継が行われました。この "クローズド・サーキット" と呼ばれる中継ですが、驚いたのはポールの公演後ほどなくして録画映像が流出し、海賊ビデオとしてすぐに出回ったことです。画像もまぁまぁの良さでした。情報を入手した私は、ダッシュで西新宿のビデオ屋に走りましたよ (^_^)v
そのクローズド・サーキットの映像がありました。
PAUL McCARTNEY / Can't Buy Me Love ~ Put It There
その体調面で思い出すのですが、90年の公演ではポールの声が不調であったということです。特に高い声が苦しそうでした。正直に言うと 「ポールも年齢的なもので声が衰えたのかな」 なんて思ってしまったのです。もちろんそれは杞憂でしたが。
セット・リストです(太字はビートルズ・ナンバー)
Figures Of Eight / Jet / Got To Get You Into My Life / Rough Ride / Band On The Run / We Got Mariied / Let'em In / The Long And Winding Road / The Fool On The Hill / Sgt.Peppers Lonely Hears Club Bnad / Good Day Sunshine / Can't Buy Me Love / Put It There(~ Hello Goodbye)/ Things We Said Today / Eleanor Rigby / This One / My brave Face / Back In The USSR / I Saw Her Standing There / Coming Up / Let It Be / Ain't That Shame / Live And Let Die / Hey Jude / Yesterday / Get Back / Golden slumbers・Carry That Weight・The End
70年代のウイングス時代には、3~4曲しか演奏されなかったビートルズ・ナンバーが増えた頃です。これはとても嬉しいことでした。今でこそ当たり前のように多くのビートルズ・ナンバーが演奏されていますが、当時はこんなに多くのビートルズ・ナンバーを生で聴けることに、多くのファンが歓喜し涙したのです。私より10歳ほど年長のビートルズ世代の方と一緒に観た日があったのですが、大学で講師をされているいつも冷静なその方が 「Can't Buy Me Love」 が始まると目頭を押さえていました。そういった光景は他でも見かけました。
圧巻だったのは、「Golden Slumbers」 から始まるあのアビー・ロード・メドレーです。あの "黄金" のメドレーを生で聴けるとは! ファンの間では特に話題となりました。
PAUL McCARTNEY / Golden Slumbers~Carry That Weight~The End
現在のバンド・メンバーは、2002年のワールド・ツアーから続く不動のメンバーで、最高のバンドだと言われています。でも1990年のツアーも素晴らしいメンバーでした。
ポール & リンダ の他には
ハミッシュ・スチュアート / Hamish Stuart (ギター、ベース、ボーカル担当)
ロビー・マッキントッシュ / Robbie Mcintosh (ギター担当)
クリス・ウイットン / Chris Whitten (ドラムス担当)
ポール 'ウィックス' ウィッケンズ / Paul 'Wix' Wickens (キーボード担当)
といったメンバー。ハミッシュ・スチュアートはアメリカでナンバー・ワン・ヒットを持つバンド、アヴェレージ・ホワイト・バンドの元メンバー。この時代のポールの右腕的存在といっても良いでしょう。仲間内ではデニー2号と呼んでいました(悪意はないですよ)。ロビー・マッキントッシュは元プリテンダーズのギタリスト。個人的にはポールのバンドの歴代ギタリストの中では、ジミー・マカロックの次に好きなギタリストです。堅実な実力派のギタリストです。このひとの上手さは、ライヴで実感しました。ポール・ウィッケンズは現在もポールのバンドで活躍しています。
3日間行きましたが、どの日の出来が良かったのか悪かったのかはもう忘れてしまいました。よく憶えているのは、アビー・ロード・メドレーでポールがギターを弾きまくり、ハミッシュとロビーとのギター・バトルをとても楽しんでいたこと。それからポールのベースのメインが5弦ベースという珍しいものであったこと。
そしてポールが日本語を連発していたことです。 「オッス」 「ノッテキタゾ」 「ウチノカミサ~ン」 など。 特に 「オスッ」 はお気に入りのようで、NHKのテレビ・インタビューでもキャスターに 「オスッ」。 ポールという人はサービス精神旺盛のひとなので、みんなが喜びそうなちょっと変わった言葉を好んで使うのでしょう。
そのNHKで、BCC(現ビートルズ・クラブ)主催の植樹祭(3月9日)のもようが当時放送されました。これはポール & リンダ 夫妻は喜んだのではないでしょうか。子供と直に触れ合うことができるこういったイベントを、ふたりは特に好むような気がします。ここでもポールは、子供に 「オスッ」。
3回のライブの中で一日だけ、幸運にもアリーナのAブロック、つまりは前のほうで観ることが出来ました。今回 偶然にもほとんど同じような位置の座席を取ることが出来ました。前の座席で観ることに越したことはないのですが、あの時はステージが高くて少し見上げるような形でした。他の2回は2階席であったためポールは豆粒みたいでしたが、ステージの全体が見渡せて、それはそれでまた楽しめたのです。
今回のライブに行かれるひと。席はそれぞれであると思いますが、ポールと同じ空間で同じ時間を共有することに特に意味があるのだと思います。
もうすぐです!!!