青春に捧げるメロディー | Get Up And Go !

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より高く! より深く! けれど優雅に・・・ 冗談も好きなんですけどね (*゚.゚)ゞ






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ベイ・シティ・ローラーズ
BAY CITY ROLLERS
『青春に捧げるメロディー / Dedication』


この歌を君に捧げたい
そう 僕等と同じように感じているひとたちに
君が僕の一部である限り
この歌は終わりなく続いていくだろう

僕の捧げるこの歌が 決して終わることのないように
君だけに送るこの歌が・・・

This song I wanna dedicate you
And to everyone who feels the way we do
As long as you're a short part of me
This song will play on endlessly

I hope my dedications never through
Dedications playing just for you




1976年9月、ベイ・シティ・ローラーズ(BCR) 4枚目のアルバムとしてリリースされたアルバム 『青春に捧げるメロディー / DEDICATION』 に収録。アルバムの最後に収録されたアルバムと同名のタイトル曲です。シングルとしては77年に全米最高位60位を記録していますが、このシングルはアルバムでヴォーカルを取ったイアン・ミッチェルのヴァージョンではなく、グループのメイン・ヴォーカル、レスリー・マッコーエンのヴォーカルによるヴァージョンです。
ガイ・フレッチャーとダグ・フレットによる共作ナンバーです。


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70年代のアイドル・グループです。凄い人気でした。当時、中学生だった僕の周りにも女の子のファンが大勢いました。キッスやクイーン、エアロスミスの御三家ロック・バンドのファンからすれば、"子供向けのポップス" とバカにする人がいたのも確かですが。
僕自身は 「好きか嫌いか」 と問われれば、当時も今も 「好きだ」と答えています。現象面は関係なく音楽的にということです。この 『DEDICATION』 というアルバムは当時購入してよく聴いていたアルバムなのです。

ベイ・シティ・ローラーズはイギリスのスコットランド、エジンバラの出身。彼らが身にまとうタータンチェックはこの出身地に由来しています。同じスコティッシュであるロッド・ステュワートなんかも、やはりこのタータンチェックにはこだわりを見せていました。

74年頃からイギリスで人気の出始めた彼らは、75年「バイ・バイ・ベイビー」 の大ヒットにより(日本ではこの曲からヒット)イギリスでの人気は過熱。ヨーロッパ、オーストラリア、日本、そして76年には全米も制覇します。タータン・ハリケーンなんて呼ばれていたのを思い出します。


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76年4月に、メンバーで最年長であったアラン・ロングミューアがグループを脱退し新たに加わったのが、グループ史上で最もキュートで可愛らしかった男の子 イアン・ミッチェルです。そして人気絶頂の注目の中で制作されたアルバムが 『青春に捧げるメロディー / DEDICATION』 です。

イギリスを出てカナダで録音されたこのアルバムは、当時アメリカで最も売れていたプロデューサーのジミー・イエナーを起用しています。エリック・カルメンやグランド・ファンク、スリー・ドッグ・ナイトなどを手掛けていたひとです。エリック・カルメンとグランド・ファンク。なるほどと頷けます。BCRのこのアルバムでもポップな面とハードな面が、うまくバランスされています。このアルバムからは 「I only want to be with you (2人だけのデート)」を始めとして何曲かのシングル・ヒットが出ていますが、今聴いてもとても良く出来たポップ・アルバムだと思います。



青春に捧げるメロディー
この邦題。少し気恥ずかしく感じるも よく付けたなぁと思います。イアン・ミッチェルは当時18歳。「造物主が地上にメルヘンを飾った」 なんてコピーまでありました。彼はアルバム1枚。メイン・ヴォーカル1曲だけを残してグループを脱退してしまいます。グループの中では浮いていたそうですが、彼だけがスコティッシュではなかった事と関係があるのかも知れません。

イアン・ミッチェルが参加していた頃のBCRがベストのメンバーであるし、アルバム 『青春に捧げるメロディー』 こそが彼らを代表するアルバムであるように思います。世界中の "夢みる10代の少女たち" の需要を満たしたアルバムだと思うのです。







人気が凋落した81年にグループは解散。音楽以外の仕事についたことは、職業に貴賤などなく明日の糧を得るために、私たちと同じ地上に降り立っただけのこと。配送の仕事、ポルノ男優、准看護士・・・・・児童ポルノ画像所持で逮捕 なんていう、地上よりさらに下まで降りていった男もいたけれど・・・

しかし "栄光の日々" の後の人生がこれほどまでに長いとは、彼らも想像できなかっただろう。生活のために、これからも老醜を晒しながら再結成を繰り返し営業を続けるのだろうか。でも ホントはそんな事はどうでもいいことなのだ。

世界中の青春への捧げ物として、若き日の輝きを音として作品に刻むことが出来た。それだけで充分だろう。










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