脱サラのアレコレ | 世紀末救世主伝説

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愛を取り戻すために…

脱サラのアレコレ

自分の信じる道を歩む先に待つのは後悔である。

忠義を尽くすべき社会

昨今は自分の選択という大義名分をかざして、
「勝てばよかろうなのだ」と非道を正当化する輩が非常に多い。

彼らは「一度きりの人生を後悔したくない」だの
「自分は環境に恵まれていなかった」だのと

往々に選択を感情論で正当化して
博打のように起業や独立に赴くのだが
結末は決まって犬死にである。


それもそのはずで、
社会は既に決まった形を取った相互依存関係に構築されており、
俗に言う取引先の変更は既存の競合よりも大幅な好条件の提示がある場合か
取引先が社会的信用を喪失してしまった場合にしか起きないのだ。

つまり、社会的に新規参入の余地が無い分野に独立するためには
独立事業の発起・運営にかかる総資金の清算に経営で生じた利益を組み入れない
あくまでも、生活を賭けない趣味の延長線上の道楽の経営でなくてはならず、
そのためには、前提として自身に資産・信用的根拠がなければお話にもならない。

だから、むやみな完全独立は夢を見るにはちょうど良いが
あまり現実から乖離した責任状態であるため実行はオススメしない。


そもそもとして、起業は専門性の地域普及にかかる社会貢献であり、
地域や専門性の組合、関連企業など社会を構築するすべてに対して
専門性を担う者として忠義を払うことで「私」に社会的需要が発生し始める。

また、人気商売である個人的需要とは異なり、社会的需要の範疇には
地域におけるインフラ普及のための専門組合が存在するため
隅々まで情報網を広げて認知を常に最新の情報で更新することにより
専門組合(協会)内の政治的立ち回りで自社の優位を得る事だってできる。

例として、協会の信用を著しく損なう会員の行動は抑圧できて
また、案件の収集に主導権を得て、他者に案件を渡して信頼を構築することも、
一方で自社で案件を消化して労働者を働かせて収益となすこともできる。

ゆえに、社会が求める己の選択というものは
「自身が認知しうる社会のすべてを掌握する選択」なのだ。
単にひとりよがりな希望など誰も求めてはいない。

 

経営の模範解答

認知範囲の広さで位階が構築されていくと
自然と自治分権の構造が生まれていき、結びつきの薄い企業連合となる。
事実上の地域専門の寡占と言えばいいか。

これこそが地域財閥構造であり、
上位の意思決定体が下位に直接的な介入をする事はできないが
それぞれの士気が高く、グループの内的な崩壊が生じない起業の模範解答である。

これについては、
専門において専門性を有する者の選択には強権を発動ができないが
分権を受けた者と主権者の間に共通した直接の利益がある構造であるため
裏切りは決して生じないと解釈していただければよい。

つまり、独立とは言っても
すべてを支配する度量があるならば地域を征服することが模範解答になるし、
時には、誰かの下で事実上の子飼いとなるのも正しいよ、というハナシでした。
                                      おわり