資産運用とポートフォリオ | 世紀末救世主伝説

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愛を取り戻すために…

資産運用とポートフォリオ

一般論は本当に大衆の総意であるのか?

運用資産という砂の城

被用者は労働の対価として報酬を受け取っているが
労働ができない状況があり得る場合に不安は無意識ながら頭にこびりついて
漠然とした将来の不安という形で表れてくる。

そこに、自身が持っている資本を元手で
不労所得を得られれば将来に対する不安を相殺できるだろうと合点して
労働の片手間で投資を行なおうと投資市場の調査を開始する。


だが、この投資市場というものは実は存在していない。
広告やSNSの実体験というものを支持の根拠としている砂の城、
ねずみ講の末端への入り口がその名を騙っているに過ぎない。

ただ、この世界すべてが投資の対象であることを知らない彼らは
それを知ることなく投資市場から商品を購入してしまう。

なにせ、それで成功している人たちがSNSにはたくさん居て
市場の運営者は広告を出せるほどに受け入れられているのだと
一般論に擬態した誘導を自身が真に受けているだけとも知らずに…
 

本当の資産運用

実際に資産を運用することで利益を確立できる人間は
金主という既に資産運用のポートフォリオが成立している
資本主義に保護された事実上の貴族階級しかいない。

あくまでも、金主が儲かるために大手広告代理店へと
莫大な報酬を提供して大衆の総意(流行)を捏造することで
投資以上の利益を情報弱者から回収するという流れに
参画するために予め専門性や立地を確保するというような

金主たちが次の流行を捏造する5年以上前には
すでに技術者の囲い込みや地上げを完了していなければ
一般人が与する余地など残されてはいない。

それに、法的な保護や暴力装置の確保ができていないと
ブローカーに無権利売却をされた後に圧力を加えられて
事件として立件できない事実上の強迫に泣き寝入りを強いられる。

そのため、資産運用は以下の
社内規範と社会的信用、暴力装置、優れた諜報員が欠ければ
スタート地点に立つ事すらままならず、金銭を失うに終わる。

そのため、一般の人たちにできる事は
国際的親交に注力している大学などで最先端の技術研究に携わり
囲い込みを受ける専門家の一人として選ばれるか
金主に厚い信頼を受ける雇われの社長を目指すほかに
その経済的安寧にアガリは無い。
 
他に、専門性への潜入や専門家の監視は
かれらの投資においても欠かせない。
 
だからこそ、機会として私も金主に信頼を受けるために
国家資格や言語などを習得して彼らの身体的限界を補うことで
言葉やカネではなく実力で忠誠を証明し続けている。

つまり、きれいごとではなく事実を証明するために
研鑽という自己投資をかけていくことが最も効率の良い資本注入なのだ。