職場にいる境界性の人 | 高機能型境界性パーソナリティ障害の彼の呪縛から抜け出す

高機能型境界性パーソナリティ障害の彼の呪縛から抜け出す

高機能型境界性パーソナリティ障害の彼と関わってしまったこと、それにより失ったもの、得たもの、学んだこと、、、ふう。沢山ありすぎて。
記録と心の整理の意味で出会いから経過、現状を少しずつ書いていこうと思います。

「職場に境界性の人がいて対人操作をするので、それを信じた周りからの嫌がらせに困っています。
あらゆるところで対人操作をするので、疲弊します。」

 

職場で、という悩みもよく相談を受けます。


私の彼は会社のトップなのですが、ほとんどのスタッフが本当は彼を嫌いなのにも関わらず、彼はそれを気付けない為、ずる賢い人達はイエスマンやごますりをすることで、彼を逆に上手く操作していたような感じでした。

境界性の人達は人間関係でいつも悶々としているので、そこに注力しちゃうのですよね。
だから対人操作もあらゆる場面で行ないます。
そんな暇があったら別のことに力を注げばいいのに、って思いますけれど 笑
その対人操作も意識的というより、怒りや不信などの感情のパワーで「敵だから」悪口や勝手な思い込みによる噂や嘘を流しちゃうのです、本気で。

そしてそれを真に受ける人もいれば、わかっていてあえてそれに乗っかる人もいる。

真に受ける人は明日は我が身、あえて乗っかる人は境界性(や自己愛性)の人とやっていくことができる人達です。

 

狡い人や自分さえよければ(他人が嫌な思いをしても構わない)という性格の人達は、境界性(や自己愛性)のクズっぷりに対等に張り合えるだけの自己中心さを持ち合わせているから大丈夫なのです。

 

いじめをみていても止めないばかりか、手伝っちゃう人達ですね。自分を守る為だけの理由で。

 

ちなみに私の彼は自分の都合でいじめ(と本人は自覚してはいない)をするばかりか、強い立場の人を立てる為に身近な人間でさえも一緒にこきおろすことができるという、境界性でなくても「終わっている」タイプです。映画だったら全ての観客から嫌いなキャラクターに設定されるタイプです。

 

だけど、本人は正義感に満ち溢れていて、弱い者を助けてきたと口にしていますし、ヒーローが大好き。

中学時代に同級生の為にした「いいことエピソード」を延々と、何度も何度もことあるごとに語ります。

だけど、その「いいことエピソード」、あまりにもたいしたことがなさすぎて(周りに話すと、え?それって自慢すること?それしかいいことしていないのかな?と笑われます)、実はいいことをしたことを実感しているのではなく、その同級生に結果的にお株を奪われた形になったことが何十年経っても悔しいんだろうなと思われます・・・残念すぎる。

 

彼に敵認定された人の話です。

彼の会社に勤めていた知り合いは適当にやっていくことをせず、会社やクライアントの為に最善を尽くそうとしていたので、方針をころころ変えてみたり、その時の感情で別のスタッフに圧をかけていく彼や彼のイエスマン達の行動に異を唱えたり、クライアントを守ってみたりしたことで、彼に「嫌い」認定をされてしまったのですね。

その前は「俺の再来みたいだ!」「できる社員だ!」と彼に大絶賛されていたのに、100から0、です 笑

目の前にいるのにまるで目に入らないかのように無視をされたり、連絡事項を伝えなかったり、その人の悪口をスタッフに延々と話し、会社に問題が起これば関係ないのにその人のせいにしたり。

会社のトップがそれをしていたのです。

 

その知り合いは1年間悩んだ挙句、会社をやめました。

転職してからはすごく元気になりましたし、幸せそうです。当たり前ですね。

 

彼はその知り合いのことをそれからしばらくは悪口をいい続けましたし、その知り合いを擁護した私のことも「るるのせいであんな人が長居したんだ!最初からいらない人だったのに!」と怒りの矛先にされていました。私、あなたの会社の社員ではないんですけど 笑

 

それを過ぎると、「やっぱり、あの人みたいな熱血漢はいないよね、なかなか。」

 

そして、可愛がっていたはずの別のスタッフに無視をはじめました。その人がいなくなると、また別のスタッフへ・・・

 

こうやって、くるくる、ころころ、なのですね。どんどんと信用をなくしながら。

 

 

境界性(や自己愛性)の人とは、どんな関係でもできる限り近づかないほうがいいです。

恐らく、彼らと関わった人は100%そう答えると思います。

 

離れることができない状況の人は、その場所で仲間をみつけたり、(知識としてではなく心で「境界性」を知っている)元ターゲットなどの経験者に悩みを話すことで共感してもらうことが必要です。

そうしないと心が折れちゃいます。

 

もしくは対峙できるくらいの自己中さで生きる。

なんて、できないですよね・・・