記憶の頓挫 | seawinterのブログ

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絵は語りたいメッセージである。自由に想像の世界に遊べば良い。
ブログは内面のスケッチ集である。
ここから 創作へのステージは開かれている。

物忘れは 誰にも訪れる 悩みなのだが、こんなに思い出せないワードが多くなると 正直 困惑する。

 

それも、遠い祖先が戦国時代に 逃げ込んだ 地域の 地名が出てこない !

 

1336年 後醍醐天皇 が 吉野に逃れた時、北面の武士であった先祖は 戦乱が嫌いで 逃れた土地だ。

 

父方の祖母(同居)が、幼い孫に 同じことを何回も言い聞かせた 母方の物語である。

 

耳に タコ というが、そのまんま です。

ちょうど、今の私と同年齢であった  祖母 !

 

が、私に血を分けた子孫は イナイ。

 

そう、すべてを捨てますから、絵が描けるように なりたいと祈ったから。

 

 

祖母は それが愛情表現だったのだろう 繰り返し 言い聞かせたのです・・・・・・・

 

徳川家康公が 江戸で治世をとのニュースで 比叡山に僧となるべく十津川村から 出てきた処、縁あって、江戸城へ召された。

 

仕事は茶坊主で、日本中の藩主を将軍様に面会時 案内するのだ。

 

家康公の知恵で  戦乱を無くすタメの 一種の制度改革 だったらしい・・・・・・

 

明治時代が始まるまで ずっと 江戸城で 勤務 していたが、反 勤王方 である先祖は 没落した。

 

母は そんな明治44年に 生まれて来た。9歳で母親を亡くした時、子守奉公に出て、3軒くらいお世話になって、19歳で女中奉公に 移転した。

 

そこで、歯ブラシ会社の社長宅に来た。

 

父は創業者の右腕であった。

 

見合いが成立~~~~やっと両親が出会い、私の出てくる素地が出来たわけです。

 

はじめは、符に落ちないところも在ったが、高齢者になり、病気で孤独な日々が続いたときなどは、その話を思い出し、先祖が苦労して 命 を ツナイで来れたからと 負けないで頑張ろうと思い直します。

 

苦しい時がイッパイ在って、時代を乗り越えて 命 は 繋がれたのです から、 私も クヨクヨ出来ないでしょう?

 

地図を開いても 小さな村の表記はない。

 

スマホの地図アプリを開いて、やっと、見つけた。

 

その名は 十津川村 でした。

 

タブレットで 再度 地図検索 して、表記を見ました。

 

誰も 一度も行った事は ナイのですが、一度くらい 行って見ても と

思います。