6歳から、(注:昭和26年)マッカーサー解任、日本の主権回復、朝鮮の独立を承認 の頃。
父の畑仕事を 観察しながら、庭の一角に 畳2枚分の 土地を耕して、苺 を 栽培した。
父が育てた 苺の実は 甘いのに、 私の育てた 苺は 酸っぱい!
13歳まで、続けたが、一向に 甘く は ならなかった。
その後、大阪に引っ越した・・・・・
先日、ラジオ深夜便にて、 苺農家 さんの インタビューを 聞いていて、冗談まじりだろうが、
「人の良さ・・・・が 甘くなるんですよ~~~」 って、聞こえた。
はぁ~~~~~!?
確かに、父は 人は良かったが・・・・・・
大根・白菜・人参・かぼちゃ・小麦・キャベツ・サツマイモ・じゃがいも・枝豆・里芋・黒豆 などなど
戦時中は 米も 田んぼを借りて 栽培していたらしい。
その他、養鶏場ばりに ニワトリも飼っていた。
しかし、私のお乳代わりのお米は、やはり、母の着物と交換した 米 で 重湯にして、命を救われたのだが。
父の偉大さ、母の忍 で 育ててモラッたわけですが。
人の良さ なんて 到底 届かない!
私の一途さだけでは・・・・・・
この家に嫁して来てからは、庭の世話はするが、 苺は 栽培したことは無い。
椿の苗(実生)(八重) を 今は 幹周り22センチ までに、そして、小さな庭と 隣の庭 を 邪魔しないように 横 に 育てあげた。
つまり、 矯正 したのだ・・・・・・・・
夫の姉の庭から 拾ってきた 形見のような 椿(一重) は紅い花を楽しませてくれる。
小さな庭 だが、沢山の木々が 育っている。
父のように 穏やかでは無いが 植物と共に 生きて来た。
北山杉だって、植わっていたので、それらしく、調整した後 今は 植木屋さんに 調整して頂いている。
高さには 追いつかないから・・・・・・・
人の良さって、 また、違う角度からでしょうネ。
父 と 母
どんなにサカダチしようが、超えられる存在では無い。
酸っぱい 苺 の ままで あの世に 行けるだろうか と 考えると
悔しさ が ニジミデル。
しかし、 親を超えてこそ の 人生 と 思うと
山は 遠すぎる。
親を超える事など 考えに入れなくても?
他との比較 ではなく、自分の過去世 との 比較で良いのでは?
縁によって、産まれて来た 私 は、私を生きれば 良い。
記憶の中の 酸っぱい 苺 は それなりに 自制心 を 育ててくれたのだから。