記事をアップして、読んだら、言いたかった事が書けていない事に気がついた。
それは、薬が少なくなったのだが、長年診て下さった先生が、何故、その薬を出して下さっていたか ? なのです。
戦時中に産まれた 私は 虚弱体質 で あった。
あの頃は、食料も薬も無く、戦後とて、 雑炊の鍋を囲んでの 丸い食卓を前に、お乳が離れて、 すぐ、 食卓へ デビューしたのだった。
幼子でしたが、容赦は ありませんでした。
なぜなら、 スグ、 お出汁の多い お鍋は 空になり、 口に入った事は 無かったのです。
家族は 誰も スクって入れては くれませんでした。
何故か、 そのシーンは、頭から 離れないのです。
ビオフェルミン配合散 と ビタミンE? (NEソフトカプセル)は、そんな私への 補助として、出して下さっていた。
風邪を長年引かなかったのは、 そうした 配慮 のお陰だったのだ。 と、 気づいたのです。
戦後の厳しい状況 は 昭和25年の 隣の国? の 動乱?が起きると 何故か 経済は活発と なっていったのです。
73歳の 記憶の 中には、 その件が やはり、 忘れられない記憶なのです。
平和 って、 良いですよね~~~
でも、幼いながら、負けじと お鍋へのアタックは 出来るように スグなりました。
競争の最前線 に 放り込まれた 私 の 生への 執着がそうさせたのでしょうか?
生々しい 記憶 ですが、 よみがえるのです。