河口湖温泉のホテルの部屋は 10階でした。
エレベーターを 3回 乗り換えて、やっと、たどり着きました。
窓からは 河口湖が前に見えて、富士山も見えて、最高でした。
宴会が終わってから 部屋に帰り、お風呂に行く支度をしようと、ネックレスを外そうとした時、黒いオニキス?(超小粒) の ネックレスが切れて、バラバラと 飛び散りました。
お布団がすでに敷かれていたので、畳の上に飛び散った ネックレスの粒を拾い集めました。
スッと 頭に浮かんだのは、「あ~ 又 一つ 悪い因縁が 切れたな?」 でした。
悪い事のように思えますが、実は違うと、ずっと以前から、そう思うように 教えられておりました。
お風呂に入り さっぱりしてから、眠りにつきました。
やはり、久しぶりに興奮したからでしょうか? 眠れませんでした。
目は 冴えて、とても、眠りに入ることが出来ませんでした。
そうこうしている時、 亡くなった義息子の事が 思い出され 明白に 顔が 思い浮かびました。
そして、通夜・お葬式 その後 涙が出なくて、困っていたのですが、
なんと! 涙がほろほろと溢れて来たのです。
不思議でした・・・・・・・
やっと、涙が流せたのです。 義息子との 別れに。
悲しい時に涙が出ないなんて と 不思議で仕方がありませんでした。
けれど、 やっと、 泣けた と・・・・・・・
48歳で 急遽 死を受け入れねば ならない 現実に立ち会い、
4ヶ月間は あっけなく過ぎ去りました。
最後の1ヶ月間は、日中は個室に付き添いました。
最後の日は 夜も居て下さいと 医師に言われ、朝、義息子は 旅立ちました。
「僕のそばを離れないで下さい!」 と 何度も言って、私に甘えてくれたのです。
嫁に来た時、 彼は 大学4回生で21歳でした。
父親に 「自分のかわりに この人の晩年を頼む 」 と 言われていたらしく、いろいろ お金の使い方が荒い! など と 意見をされた事もあります。
真面目な青年らからこそ、自分の力の及ばない事は、 早くから NO と 言って置きたいようでした。
しかし、27年間 同居 して、 やっと家族になれたのに、 病で 先にあの世に往かれるなんて、 ショックでした。
しかし、 私は、 彼の方が 何 百 倍 も 苦しいのだと、 当事者には、 かなわないからと 考え直して、つまらない言葉は 発しないように努めました。
年の差22歳上の夫は、その時、 脳梗塞3度 起こして、重病人で入院中でした。
勿論、別の病院でしたので、毎日、ふたつの病院に行っていました。
義息子は 一緒に 父親の介護も手伝ってくれていましたし、本当に 優しい人でした。
彼は きっと 富士山を見て、感激して、喜んでいた私を見て、魂はすでに 天 に 召されて居たのですが、心配なことは、マイナスの念として、家に残ると言われているので、引き続き、居たのでしょうね~~~~
けれど、 さよなら を 言うために 顔を見せてくれたと 解釈しました。
やっと 成仏 出来たのだと そう想いました。
そう! だから、 黒いオニキスのネックレスが切れてくれたのです。
ほんの少しですが、 私の心も身も 軽く 感じられるのです。
また、涙が 溢れてきましたが、 お許し下さいね。
そして、「僕、もう結婚出来ないかもしれない・・・・・」と、帰るなり、ドアを閉めて、泣きそうな顔をして、言った事がありました。
39歳まで 結婚に至らなかった私は、「ご縁だから、心配しない方が良いよ~~」と、 2階に上がる義息子に 言葉をかけて いましたが。
そんな事まで 義母の私に 言ってくれていたのです。
普通、言えないですよね~~~~~
母親として、甘えてくれたとしか 思えません。
悲しいけれど、きっと、 彼は やっと 離れて行けたのです。
地上に生きる 私達は 幸せでいることが 何よりの 供養 なのかもしれませんね。
時に 旅行は 未知に溢れた 機会かもと 与えられた幸運に 感謝申し上げます。
そして、お読み下さって、本当に ありがとう御座いました。
幸いに満ち エネルギーあふれる 明日が 来ますよう祈りおります。
8年目の涙 の 意味 神様 本当に ありがとう御座いました。