亡くなった 妹 は、天才級のIQの持ち主だった。(自慢では無い!)
高校卒業後、一般企業に就職し、やがて、夢を見つけて 建築設計会社に再就職し、自らも、 設計士 となって、小さな設計会社を設立して働いていた。
建築設計士の 国家試験 で、二級・一級の資格を取った。
(昭和53年位 に 一級)
彼女は、4才上の 私を 反面教師にして、実に粗津のない 生き方をしていた。(ああしたら、祖母に叱られる と、じっと観察していたと 後年聞いた )
特に 幼い時には、10才以上の兄達とは、あまり、接する機会がなく、
本当に ひとりっ子 状態だった。
祖母に叱られながら、近所の子供達と外では、おおらかに 遊び回っていた。
まだ、自然が豊かな時代で、田んぼには、 殺虫剤 がまかれることが無かった時代である。
小さな小川の 繁茂する雑草の奥(下)には、清水が流れており、小さな魚を追っかけて 捕まえたり、今では、危険だから、とても 行かせてもらえない遊び場だった。
(注)炭鉱地帯だから、大きな河は黒かった。
しかし、数人での冒険は、今でも脳裏に焼き付いて離れない 思い出である。
川魚の匂いが 嫌いな 母 は、取ってきた子魚を 顔を歪めながら受取、料理してくれたが、 自らは、箸をつけた事は無かった。
ほんの少しの量だから、お箸をつける状況でも無かったのだが・・・・・
しかし、 反面教師 に なっていたとは、全く、知らない のほほん 族だった。
人は、それぞれの受け止め方(マイナスの) があり、乗り越える力があるのだと、 目の前の好奇心に、 つられつられの人生だった。
あまり近くに 天才級の妹? が 存在すると知ったのは、20才の時だった。(S40年)
遅すぎるのだ!!
しかし、成績は常にオール5で、比較にならない事は 熟知していたが、脳みそに嫉妬しても、始まらないので、仲は良かった。
亡くなる前に聞いたのは、 信用出来る 二人の人間のウチの 一人 であったと告白してくれた。
彼女の成績に勝てないまでも、自分の最良の成績をと、 自分なりに努力して来た。
こうして、年に似合わないパソコンだが、高校卒業後、いち早く、パソコン(その当時は、小さなパソコンは、無かった)に、興味を持ち、使いこなしていた 妹 の 影響 有っての事である。
建築設計にパソコンを使い始めた かず少ない 先覚者 でも あった。
仕事のはなしを 聴きながら、着物に花の絵を描いていた その当時の私は アナログの人なので、想像するしか無かったが、興味 津々 だったのである。
妹(50才)が 亡くなり、 数年して、逆に、パソコン教室の先生が 訪ねて来られ、習いませんか? と 勧誘 してくださったのです。
CG教室~~~~!(平成15年)
ワードもエクセルも、何も知らない私に、「CG を習ってみて下さい。指導させて頂きたい・・・・」 と 懇願 されたのです。
教室のCG塾展 にも、発表したこともあったが、夫の介護に手が離せなくなり、塾には 通えなくなり、今に至る。
妹のパソコンへの関わり方を見聞きしていたので、アコガレ も 在り、以外と わからないまま 14年目を迎える パソコン。
夫の3回忌を終えた私は、別のパソコン教室のワードから基礎を習い始め、今は エクセル を 習得中です。
昔は、エクセルなんて、全く、 縁の無い 世界 と 思い込んでいたが、 社会の隅々まで、エクセルの成果が、使われているらしいとの事・・・・・・・・・・!!
意外な事 を 学びつつ、社会 !!! と つながっている 基底 に
ワクワクしながら,学んでおります。
だから、 妹 の 存在って、大~~~~きい! と、しみじみ 想っております。
多分、妹が存在していなかったら、パソコンに興味を抱いていたかどうか?
世界中に住んでおられる方々の ナマの声 & 写真 を 見聞きさせて頂ける 今の幸せ ! 本当に ありがとう ございます。
皆様方の 好奇心 が、益々 旺盛 かつ 花 開きますよう 祈念申し上げます。