安達祐実 主演の花魁の物語だった。(平成26年秋)
江戸時代・吉原大火の直後の仮宿に移された花魁達の物語を表現していた。
吉原では、街なかの生活を(出て行けないから)知らなかったけれど、
祭りがあり、出かけて、出合いが生じた。
京都の室町の染め職人がその人であり、下駄の鼻緒になった着物の絵柄で、その人が染めたことがわかった。
赤い花を青く 染めて、人気が無く、何処へ行ったか分からなかった 反物が 偶然か必然か 吉原の花魁の下駄の鼻緒になっていたのが、二人の結びつきになっていた。
祭りの賑わいで跳ね飛ばされて、 道端に叩きつけられ、 下駄が片方だけに。
男は、下駄を見つけて、やさしく下駄を履かせてあげる。
女は吉原の女郎の娘で、 母親が亡くなり、幼くして保護者を失い、 通りがかった花魁に拾われ、 世話になり、 成長して花魁となった。
母親の男に迷わされる姿から と 幼い時に受けた虐待から、男には、 心を許さない 花魁 となっていた。
身体を売る商売と蔑まれ、痛めつけられる容赦ない状況に、心を閉じて、ただ年季が開けるのを心待ちに商売に励む日々だった。
しかし、引き取ってくれたお姉さん花魁が 吉田屋さんに引かされて、半年で亡くなったそうだ。
その男(京都・室町の染め職人)は、お姉さん花魁の実の弟であるらしく、吉田屋に取り入り、目利きとして近づいた。
しばらく、花街には来なかったが、あろうことか、花魁姿の前に現れた。
商人同士の仕事仲間として探りを入れているところだった。
現実には、そんな事例は無いのであろうが、他の客の前(連れの男は京都・室町染め職人)での、いたぶりに同性としては、正視出来ない いたぶりを始めた。
連れの客(染め職人)と花魁が憎からぬ間であることと察した上での吉田屋主人のいたぶりだ。
次のシーンでは、自室での布団に寝かされているところだった。
口から泡を吹いて、気絶させられたからだそうだ。
酷い仕打ちをするものだ。
吉田屋は、連れの男(京都・室町の染め職人)に知り合いの娘を紹介し、夫婦になるように仕向け、自分は花魁を身請けしようと小判を袱紗に包んで、持ってくる。
吉田屋とその商い始めの男の祝言を祝って、ダブルのお祝いをしようと企てての入店だった。
男は、お姉さん花魁の事を聞き出そうとしていると、花魁(安達祐実)
に密かに伝え、協力を依頼し、吉田屋との話を陰で立ち聞きする。
すると、引かせた花魁を商売相手に抱かせて、有利に商売をする道具として使っていたそうだ。
元お姉さん花魁が肺結核を患ったら、さっさと捨ててしまった。
お姉さん花魁は住む家も無くなり、それでも生きて食べて行くために客を探して、最低の女郎として、亡くなったそうだ。
真相を知り、男は 火鉢の火箸で 吉田屋 を刺殺してしまう。
男はお尋ね者として人相書きが手配されてしまう。
花魁は寝込んでいたが、やがて、回復し、また客をとることになったが、二人だけの待ち合わせの場所を小さな男の子から、受取り、子の刻との知らせに急いで出かける。
男は花魁道中の衣装を揃えて、やって来た。
一人では着用出来ない 花魁道中の 正装はやがて、 男の手で仕上がり、深夜の境内で 二人だけの花魁道中が行われた。
そして、神社の小社の中で、逢瀬の契を結ぶ。
初めての恋の逢瀬の行為は、客との仲のそれではない。
純愛の逢瀬とは、そんなものなのか と 考えさせられる濃厚なシーンが続いた。
やがて、 吉田屋殺害の犯人として、捕り物の手が差し掛かる。
花魁は狭い部屋の中に監禁され、寝込んでいた。
やつれ果てた姿は、生気を抜かれた 虚ろな身体だった。
やがて、男は打ち首となり、遺髪が花魁のもとに届けられた。
打ちひしがれる花魁は、妹花魁から板の窓を開けてもらい、光を見つめる。
時は流れ、やがて、店に出る日が来た。
朝顔の青い花を見つめ、日が射せばしおれるのに、咲く必要があるのかしら? と 問いかける。
しおれるとしても、一度は咲いたほうがいいのでは?
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次のシーンでは、身投げして躯になった花魁の姿があった。
遺髪を握りしめ、染職人になおしてもらった ”かんざし” が 側に置かれていた。
彼女は二度と客を取りたくなかったのだろう。
出会ってしまった宿命の相手との短い逢瀬だけで すべてが終わったし、終わらせたいと想ったのだろう。
男と女の関係は、心が通じ合っての関係で、それを知らない間は出来ても、知ってしまったら、、その行為は虚しく、残酷なだけなのだ。
彼女のかんざしを、それまでの席に就いた妹花魁は 髪に 刺した。
それは、恋を知り、痛みを知る人間の誇らしさとして私は受け取った。
花魁をモチーフに取り入れようと考えていたが、自分の考えが浅はかだったと反省した。
彼女たちの魂は、男たちの蹂躙に 死んでも 恨みは消えないだろう。
時代の産物としての花魁制度だったが、人間の扱いではない。
男尊女卑の時代とはいえ、あまりに酷い仕打ちがあるだろうか?
まるで道具としてしか考えられていないことが、問題なのだ。
貧しいということで、人間性を否定されるのは、如何にも卑劣な仕業で許せなかった。
それなのに作品のモチーフに使うと考えた、巧妙な作戦を反省した。
自分をこんなに反省したことは無い。
しかし、完全に自分が間違っていた。
勿論、分かった上でのアプローチは可であろうが、彼女達の魂が許してくれるとは思わない。
そっと、同じ人間として、女性として、社会からそのような人や女性を差別する心の仕組みを排除して行くのを見守るしか無い。