いま、世界は迷っている。
なんとなく、そんな気がする。

情報の波にのまれて、渦の中。
右向け右は嫌い、でも右向けば右。

ネットの上では、毎秒どうでもいい論議。
それでも、結果が気になってしまうわたし。

何かの役に立つさ、と自分に言い聞かせつつ。
ただ、焦りと時間と不安とがどんどん過ぎていく。
人生には転機というものがありますがそれらは人によってさまざまでわかりやすい転機といえば小中高大就職結婚などでしょうか。とここでいう転機とは好転悪転かどうかは関係なくいわば変化ということですが節目節目に自分を変えるためのきっかけが多くころがっている環境であるというだけで普段の生活のなかにもそれらはきっとあるのでしょうけど。しかしながらたいてい自分を変えるできごとは違う考え方同士で集まったりもちろん似た者どうしで集まったりするとか何かしらの化学反応がない限りは自分とは無縁のところや未経験のことから起こるはずですので積極的ではないにしろ挑戦する意識をもつことが大切かもしれません。苦手なことに挑戦しろという言葉をよく聞きますがこれは役割は同じですが意味は違って食わず嫌いをやめて想像だけで自分にはあわないと決めつけないでやってごらんということなので私もこれまでにない経験をつんでいこうと思います。いままでの経験と新しい経験とが化学反応しあって新しいものが生まれると信じて。
靴は相性だと思う

どんなにかわいい服やオシャレなアクセサリー

それらがどんなに目立っていたとしても

靴は相性だと思う

顔を洗ってメイクしてトースト食べたら玄関へ

仕事にいくときも誰かとデートをしていても

靴は相性だと思う

わたしをわたしの足元から支えてくれるから

わたしを外の世界に連れだしてくれるから

靴は命だとも思う

わたしの人生をちょっと前に進ませて

すり減ったかかとがわたしの思い出になった

靴の人生の終わりに

はきつぶされてよかったと思っていてくれたらと

そう願ったのはごみ箱に入れたあとだった
毎週末仕事が終わってビールを飲む。
発泡酒やその他のお酒ではなくビール。

小さなことだけど大切なこだわりです。

毎日飲むには、ちょっと高く。その値段が一週間の頑張り度を表します。

頑張れば頑張るほど、一杯目が美味く。飲み干すまでがご褒美です。

ご褒美の味を知っているから、来週も頑張れる。大人だけのささやかな嗜みのひとつです。
Q.インターネットについて、どのようにお考えでしょうか?

A.
こんなこと言うと、ユーザーにネット批判だと怒られそうですけど、インターネットって個人×個人のコミュニケーション(相手をより深く知ること)にあまり向いてないんじゃないか、と思うんです。アメブロやmixiとかほかにもやっててなんですけどね。でも生の体験を通じてわかる、感じることってあるじゃないですか。そんな感覚を通じての考え方ですね。

Q.利用者が増えるということは、多くの人が魅力を感じていると思いますが。

A.
<確かに(インターネットは)処理速度が速いので、情報の伝達手段としては便利だと思います。その速さゆえ同時に複数の人とチャット会話やゲーム対戦が可能だったり、自分の日常や考えていることなんかを日記に書いて、たくさんのレスポンスがあったりするわけじゃないですか。だから、そういうことが続いていくうちに自分のコミュニケーション能力が上がった、という錯覚に陥るのではないでしょうかね。「おれは今、同時にたくさんの人とのやり取りをこなしてんぞ」って、もちろん無意識の話しでですよ。それは受け手側にも言えることだと思うのですが。たとえば学校とかでみんなが怖がる不良グループとかから、そこそこ親しげに話しかけられたりとかするじゃないですか(有名人とかでもいいんですけどね)。そしたらその人の能力って自分にあるわけないのに、自分スゴイやろ?みたいなちょっとした優越感みたいになってしまうと思うんですよ。なんかそういうことと似ているな、と。実際ぼくなんかも、そういう時期がありましたから。

Q.インターネットがきっかけでお付きあいされる方、なかには結婚される方もいらっしゃいますよね。コミュニケーションツールとして、すばらしいのではありませんか?

A.
そもそも、「その人」の人となりって、お互いのコミュニケーションを通じてゆっくり知っていくもの、というか感じていくものじゃないでしょうか。情報のやり取りが速くなったからといって送り手がどんなに本気になったとしても、「その人」の雰囲気や気持ちってなかなか伝えられるものではないと思うんですよね。それらって結局は受け手次第っていうところもあるんですけど、ネット上ではある側面しか伝えられなくて。どんなに表現を変えたって「愛してる」は、だれが打っても「愛してる」ですし。そりゃもちろん、ひらがなカタカナ・丸文字ヒラギノとありますけど。絵文字だってどんなに種類や組みあわせが増えたとしても、表現には限りがありますんで「その人らしさ」はあっても、「その人」じゃなくても表現できるものである、という意味に置きかえられるんじゃないかな、と。

多くの場合、ネット上で見ることのできる「その人」はネット上での「その人」であって、実際の「その人」とは違うじゃないですか。ですからネットでの交流期間が長くて実際に会う機会があったとしても、長い目でみた場合はリスクのほうが多いはずです。最近は長い目でみないのかもしれませんが。実は会うまでのやり取りを通じて湧いた親近感が、友情とか愛情に変わってしまうのかもしれませんね。でもぼくとしてはそれはやっぱり別ものじゃないかと。実際に会って、その人の雰囲気、声のトーン、話すスピード…それらを感じていくうちに芽生えるものが本物だと、本物であってほしいと思っています。けれど文字や絵文字といった情報を通じて、相手(自分)の気分を作ったりその気にさせる。そういったことは可能ですよね。


Q.インターネットに対して、やや否定的なのでは?

A.
う~ん、あくまで個人×個人のコミュニケーションツールとしては向いてないということで、ある部分に関しては否定的でもあり、ある部分に関しては肯定的でもある…ですかね。最近(?)の傾向かどうかは知りませんが、人間ってひとつの面だけ見て良し悪しを決めてしまう風潮がありますよね。そのこと自体は全然悪くないと思うんですけど、じゃあ何が悪いかって言ったら、なんで悪いかを考えないってところなんですよ。自分が嬉しいから良いもの、自分がイラつくから悪いもの、といったように、感情だけで判断するという風潮。これもおそらくある面だけで判断する、ということにつながる原因のひとつじゃないかと思っています。メリットでもデメリットでもあるんですけど、人間って習慣(癖)になるっていう性質があるから、同じ考え方ばかりしていたらその考え方しかできなくなるだろうし、苦手なことでも続けていたらそれができるようになる。だから感情だけでもの事を評価していたら、自分のなかでは感情だけがもの事の評価の基準になってしまいますよね。それって、ネット上で褒めるだけの人や、匿名で悪口ばかり書き込む人にも当てはまると思うんですよ。

Q.今後インターネットどう付きあえば良いと考えますか?

A.
個人×個人のようなじっくり付きあうコミュニケーションツールとして期待していると、ちょっと危険な気がしますが、もちろんコミュニケーションツールとしては便利だと思いますよ。同時に複数の人に向けて情報の発信や、複数の人からの情報の受信もできますからね。でも忘れちゃいけないのは、ほかの人にも見られているという意識をつねに持つということ。自分の発信した情報に好感を抱く人もいれば、反感を買う人もいるかもしれないということです。このインタビューも例外ではないですし、まあ、これは(インターネット上の)公の場でやり取りをしているときの話なんですがね。つまり発信した情報は無関係の人に見られるかもしれないし、そこから広がってほかの人に何かしらの影響を及ぼすかもしれない。このような、誰かに見られる可能性ということに対しての意識の低くなっていることに危うさを感じます。最近では公開の範囲設定が設けられているようですが、それも自分が管理しきれる範囲での話しなので。見ることのできるグループ数が増えたり、グループの中にひとりでも見せたくない人に変わったりすると、どこまで公開していいか混乱しますもんね。つまりインターネットどうこうの問題、というより人間のキャパでは到底追いつかないほどにインターネットが高速で、処理できないほどの情報量を取りあつかっている、ただそれだけの話なんですよ。科学は高速で進化するけれど、人間の進化はゆっくりである。そういった別の視点に目を向けていくことも今後、大切なのではないでしょうか。そうすれば自ずとインターネットの優れた活用法というものが見えてくるような気がします。
「駄菓子屋で、1円の重みを知った。」

今朝のとくダネを見て思い出しました。そんな気持ち。

最近の子どもたちは買い物のときには、
大人たちがお金を払ってくれるということで、
価格を確認せずに商品購入をするそうです。

お金に触れる機会が減ったわけですから、
もしかしたら1円や10円、さらにはお札まで、
本質的な重みを理解することが難しい世の中に
なっているのかもしれませんね。

商品価値は数値で計れるのかもしれません。
けれど自分の価値観、つまり経験値で計れるようになることが
本質を見極める力につながっているような、
そんな気がします。
いかにもな黒人が、
カタコトな日本語で
子どもに話しかける姿は
なんて微笑ましいんだろう。

見ていると、つい
ふふってなってしまう。
別段、滑稽ではない。
ともすれば愛しく思えるほどだ。

それにしても
ソフトバンクのお兄さんは、
キャラ設定が大変お上手だと思った次第。

そんなことに気づかせてくれた、
黒人親子。
最近おもしろい映画がないわ~
と思いつつ、とある映画(DVD)を借りて観ました。

期待はしてなかったのですが、
案の定な感じで結局ガッカリです。

タイトルは伏せますが
内容的には、

地球を救いにきたぜ!的なエイリアンが
地球にとって人間はウイルスや、滅ぼしたる~
言うて、あーだこーだ
なんやかんやてんやわんや・・・

(中略)

でー、ひと悶着ありーの、人間って実はえぇとこあるやん
これでもう地球は安泰たい。とっとと国に帰るやさかいなぁ。
そんな感じの映画だったのです。

なんだか悲しくなりました。

おわり
カーペットはドエムだと思う。
踏まれて尻に敷かれて汚されて…。
むしろカーペットにはドエムであってほしい。

だってドエスなカーペットなんていやだから。

一面に剣山をまとっていたり、
触ったら鋼のように固かったり、
夏はすっげー熱くて、冬はすっげー冷たいとか。

やっぱりカーペットはドエムで正解だ。
踏まれて敷かれて汚されてきもちいい、
ちょーきもちいいでもいいんだけどさ。
むしろ、そう思ってるくらいが
丁度いいんじゃないかな。

そう考えると、
真っ白で毛並艶の良いゴージャスなカーペットを
好んで選ぶひとって、
きっとドエスなんだろうな。