外に出ると出待ちのファンが待っていた。割と遅い時間になっていたのでそれほどの人数はいない。ほとんどが見たことのある顔だ。問題を起こしそうな者は見当たらない。警備員だけで十分そうな感じだったので小夜子は安心した。


「お疲れ様でした。今日はだるまやさんで…。」


小夜子が振り向き、後ろを歩いていた蓮と社に話しかけたが途中で言葉を止めた。


「チーフ?どうかされましたか?」


社の様子がおかしい。いつもポーカーフェースではあるが今は表情を失っている感じだ。小夜子の言葉に蓮も横の社の顔を覗き込む。


「社さん?」

「あぁ?なんでもない。仕事を思いだしたんだ。なに?」

「これからだるまやさんに行くんですけど…。ご一緒にいかがですか?」

「あっ、もう俺の分も頼んじゃった?」

「いえ、今電話しようと思っていたところなのでまだです。」


だるまやには社もよく行っている。社一人が増えたところで特に困りはしないだろう。むしろ、普通に食べる社がいた方が喜ぶかもしれない。蓮もだるまやの食事は他所よりはよく食べるがそれでも普通にはかなり遠い。小夜子も蓮について何度か行ったが、普通よりはやや少ない。


「なら、今日はやめとくよ。仕事を片付けたいんだ。」

「そう…ですか。」

「悪いな。また今度お邪魔するってお二人には伝えておいて。」

「はい。伝えておきます。」

「事務所ですよね、送りますよ。」

蓮が言ったが、社は断った。

「いいよ。だるまやとは反対だし。キョーコちゃん達の写真やら動画やら楽しみにしてるんだろう。早く行って見せてやれよ。」


いつもと違う社の反応に小夜子は違和感を感じるが、何をどう聞いて良いかわからずそのまま別れることになった。蓮も何かを感じているようだが特に何も言わなかった。


社は蓮たちと別れるともと来た道を戻った。蓮の乗った車が出たので出待ちのファンも散っていた。一人残っていた女性に声をかける。


「麻依、こんなところで何をしてるんだ?」


「あら、ごめんなさい。ユキの前には現れないつもりだったのよ?でも『蓮』がいるんだもの。仕方ないじゃない。もっと早く会っちゃうと思ってたけど、あなたは担当外れたのね…

。」


女性は少しも悪びれずに言った。社は嫌悪を隠しもせず言いかえす。


「俺だけじゃなく、蓮の前にも姿を見せない約束だったろう?」

「そんな約束はしてないわ。それはユキが勝手に言っただけよ。私は承諾してない。訴える?でも私が訴えられるならここにいた全員が訴えられちゃうわね…。」


社は苦虫を噛み潰した顔になる。麻依は巧妙だ。たいした罪状はあげられない。蓮ほどの俳優ならこの程度の追っかけは吐いて捨てるほどいる。生命の危機があったわけでも損害を受けたわけでもない。


麻依はニヤリと嗤うとじゃあねと手を振って踵を返した。















現場へは、蓮の運転で向った。暫くぶりの日本で道路事情が変わっているのでと小夜子は言ったのだが元々運転が好きだからと蓮がハンドルを握った。蓮が以前に乗っていた独車だ。今ではローリィが所有しているが、蓮が帰ってきたときは借り受けている。蓮は物にはあまり執着しないタチだが、この車にはキョーコとの思い出のアレコレがあり愛着がある。


現場につくと、どこからもれたのか入り待ちのファンが数十人いた。警備員も蓮達が通れるようにファンを押さえているが、隙間から手を伸ばそうとする者が絶えない。

蓮は車から降り入り口を見てすぐに小夜子に視線を向けた。社ならブリザードという手もあるが、彼女はどうだろう。女性にしては背は高いが、モデルのように華奢だ。ここはもみくちゃにされないように庇って入らないとなどと思いながら歩を進める。すると、小夜子が蓮の前に出た。

もう少しでファンの手が届くというところで、ピタリと全ての動きが止まった。呆然とする者や顔を赤らめる者…。蓮はなぜファンの動きが止まったのかがわからずに周囲を見渡した。小夜子の後ろにいるので顔は見えない。鏡のような自動ドアに小夜子の顔が映っていた。満面の笑みだが…。それは小夜子版ブリザードだった。笑顔だが笑顔ではない。凍えはしない。しないが一切の動きを封じてしまうことにはかわりない。魔女の微笑みといったところか…。なるほど、小夜子はマネージャーとしてかなり優秀らしい。蓮はファンに笑顔で手を降ると難なく現場入りした。


夕方になって、社が現場に現れた。蓮はセットに上がっていたが、小夜子がスタジオの隅でその様子を見ていた。

「どう?」

「そうですねぇ。まだ始まったばかりなので、上手くかみ合っていませんが…。皆さん、演技力のある方なのですぐに本来の力を発揮してくださると思います。その中でも敦賀さんは別格ですね。場をリードされて…。久しぶりの『敦賀蓮』ですけど、以前より演技に深みがある気がします。ハリウッドの『久遠』も見てましたけど、また違いますね。」

「あぁ、そう…。マネージャーとしては?」

社は蓮のことはこれっぽっちも心配していない。それよりも小夜子のことを心配していた。短期とはいえ、初めて一人で担当するのだ。まして、小夜子本人がいろいろと『厄介』なのだ。

「全くもって手がかからないです。周囲への気配りもできますし、今のところワガママもありません。ただ、あまり食事を召し上がらないので明日からはだるまやさんでお弁当を作っていただいて持ち込むことにしました。」

社は小夜子自身のことを訪ねたつもりだがマネージャーとして蓮をどうみるかという答えが返ってきた。なんとも小夜子っぽい。おそらく、問題はないのだろう。仕事ならどちらもかなりの優等生だ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


小夜子が蓮の担当になって1か月が過ぎようとしていた。 お互いの思考回路もつかめはじめ、二人は上手くいっていた。


基本的に蓮のスケジュールは公開していないが、以前のように複数の仕事を掛け持つようなことはしていないので、おのずと現場がわかってしまう。そのため、現場にはいつもかなりのファンがいた。小夜子も数人のファンの顔を覚えた。毎日のようにきている者、奇抜な格好で目を引こうとする者などだ。その中にひとり、なぜか覚えてしまった女性がいる。毎日ではなく週に2~3度ほど来るのだが服装はいたって普通、蓮の名前を呼ぶでもなく握手を求めるのでもない。時折、蓮がファンに手を振ったりニコリと笑ったりすることがあるのだがそんな時も歓声をあげるでもなく手を振りかえすでもない。ただ、ニコリと笑むだけなのだ。それ以外はジッと蓮を見ている。とりあえず害はないのでどうするわけでもないが、他のファンと雰囲気が違うので覚えてしまったのだ。


その日は現場に社が来ていた。
明日から蓮が精神的安定のために帰国するので顔を見に寄った。セットから降りてくる蓮に声をかける。

「お疲れ。」

「社さんきてくださってたんですか?」

「あぁ、明日いったん帰るんだろう?近くに寄ったから顔をみておこうかと思って。」

「えぇ、やっと明日帰れます。」

嬉しそうにのたまうかつての担当俳優は、本当に素直になったと思う。以前はこんな風に感情を表に出すヤツではなかった。それにひきかえ自分はどうだろう?ある意味自分もかわってしまったと思う。今は誰とも ―男であれ女であれ― 親密な付き合いはできない。いや、この先ずっとかもしれない。あれだけの試練を乗り越えて幸せを掴んだ蓮を羨ましく思う。

そこへプロデューサーと打ち合わせを終えた小夜子が戻ってきた。

「敦賀さん、お疲れ様でした。チーフもいらしてたんですね。お疲れ様です。」

「宮津さんもお疲れ。何かあった?」

「いえ、大丈夫です。次回の撮影のスケジュール調整です。予定より早く撮影が進んだものですから、敦賀さんのお休みが一日増えたんです。」

社が蓮を見ると、蓮は視線を逸らせた。また、やったらしい。家族恋しさに撮影を巻くのはいつものことだ。それでも、スタッフや共演者が急き立てられた気にならないから上手いものだ。まぁ、監督にはばれているだろうが、それでもその方が戻ってきたときにいい演技ができるから大目に見られているんだろう。

社のジト目に小夜子は笑顔で答えた。

「大丈夫ですよ。前回帰られたときも戻られてから凄くいい演技をなさったんです。監督もそこのところをよくわかっておいでですから。」

「どうせ、キョーコちゃん相手に演技練習をしてきたんだろう?」

「まぁ、それは...。」

今や、キョーコはアメリカでも演技派俳優として知られている。蓮や久遠は映画が主だが京子はテレビドラマが主だ。全米で放送されたドラマに出たりもしているので視聴者数を考えれば、ある意味では久遠よりもアメリカでは知られているかもしれない。贅沢な練習相手だ。

「別にかまわないよ。いい仕事をしてくれればそれで。明日は早いんだろう?そろそろ帰ろう。」

社長室をノックすると短い返事のあとにドアが開いた。社と小夜子が中に進んでいくとソファには社長と蓮が向かいあって座っている。二人が入って来たので、会話は一旦中断されたがローリィには安堵の表情が浮かんだ。

「おっ、来たな。」

「すみません。遅くなってしまって。」

「気にするなって。ちゃんと時間通りだ。コイツがわざわざ早くきて娘自慢したかっただけだ。」

なるほど、社長の安堵の原因はそれか。いくらラブモンスターの社長でも延々と聞かされれば辟易するだろう。社は苦笑いだ。

「なに言ってるんです?!娘だけじゃありませんよ。俺のキョーコは…。」

娘だけではなく、愛妻の自慢までしていたらしい。数年前までのヘタレぶりが懐かしい。話し始めると止まらないのでローリィが遮った。

「わかった、わかった。とりあえず仕事だ。」

蓮は社と一緒に入ってきた小夜子に改めて視線を向けた。その顔をしげしげと見て口を開きかけたところで先に小夜子が言葉を発した。

「宮津小夜子です。至らない点もあるかと思いますが精一杯やらせて頂きますので、よろしくお願いします。」

突然の挨拶に蓮は面食らってしまい、社に助けを求めるように顔を向けた。

「俺の代わりに彼女にお前のマネージャーをしてもらおうかと思って。」

「マネージャーですか?!それは構わないですけど…。」

「まだ新人だけど仕事はできるから心配すんな。俺が保証するよ。」

「いや、心配なんてしてませんけど…。」

蓮は今度は何か言いたげにローリィに視線を向けた。ローリィが蓮の視線を受けて頷いたので、そこで納得したのか蓮は立ち上がり小夜子に近づいて手を差し出した。

「はじめまして、敦賀蓮です。よろしくお願いします。」

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

「仕事の詳細は説明してあるから大丈夫だ。こっちで新たな仕事はインタビューとか映画の宣伝関係のものがはいってくるぐらいだと思う。ちゃんと定期的にあっちに帰れるようになってるからワガママいうなよ。」

「ワガママなんて、酷いなぁ。愛する家族がいるから頑張れるのに。」


「はいはい。その愛する家族のためにも頑張ってくれ。」

蓮はちょっと拗ねてみせた。公では見せない私的な顔で社との距離感がうかがえる。その様子に小夜子はつい微笑んでいた。今度は社のほうが小夜子の笑みをみて、今までと違う私的な雰囲気を感じて意外に思う。


今日は顔合わせだけなので、明日の仕事を確認すると早々に社長室から辞去した。蓮の家族自慢はまだまだ続くはずだからあとは社長に任せておけばいいだろう。社長室からの帰りに社は念のため小夜子に釘をさしておくことにした。


「分かっていると思うけど、蓮はキョーコちゃん以外は見えてないからそのつもりで。」


小夜子は社のいう意味が理解できずに首をかしげる。


「いや、さっき蓮を見て笑ってたろう。なんだかいつもの宮津さんと違う気がして。蓮はあの通り、天然たらしだから。本人にその気はなくても相手を虜にするんだよ。」


「やだ、そんな風に見てたんですか?違います。格好いいとは思いますけど、奥様に対してあそこまでデレデレだと幻滅です。私はただあんな風にプライベートな顔を見せるなんてチーフと本当に仲がいいんだなって思っていただけです。」


小夜子が先ほどの柔らかい笑みを見せたので社は不覚にもドキリとしてしまった。さっきは蓮に見せた笑顔だと思っていたが今は二人しかいない。しかも明らかに自分に向けられている。慌てて社は仕事モードに切り替えた。


「そう、それならいいんだけど...。明日からよろしく頼むよ。」