今日は、デンマークでヨットを求め、ライン川からナポレオンの運河を伝って地球海へ、ジブラルタルからパナマ運河、南太平洋そして1年9ヶ月ぶりに西宮に錨を降ろした40年余のヨット仲間 松村賢治さんの3年目の命日です。

帰国前、第二次世界大戦で日本軍が統治した南太平洋諸島で日の丸を掲げると、心からのもてなしを受けことに南太平洋協会を設立。以後毎年、パプアニューギニアにボランティアで行かれ、永年の積み重ねから、名誉酋長に任命される。

3年前、3月に我が家を訪ねられ、お盆には酒と肴を持参し、加計の方丈庵で語り合い酒を酌み交わした。

その後、40日足らずで南太平洋の星になられたと聞き、一緒に過ごした時を、交わした言葉を繋ぎ合わせても、言葉を交わす事のできない星になられたことを思い知った。

 40余年 共に遊び、我家・ヨットに毎年5泊以上は泊まられた。

彼の趣味は、ヨット、モトクロスバイク、マイクロプレーン(軽飛行機)と幅が広い。

 県内では、加計町・筒賀町には、スカイホビーフィールドを設計・施工され「広島市近郊の市町村首長会」の見学会に立ち会った。彼らしいクラブハウス、人気の囲炉裏のある方丈庵的キャビンを残されている。

 関西大震災を機に、スローライフとして大阪と加計町の二重生活を唱えた。

 5年前、「これからは、木材を使用した建築」を提唱されたが、その場に居た方々は、聞き流したようだ。木造の国立競技場が完成し、世間の見方が変わったかも知れない。

 彼の著作「見直しの旅」を遊び仲間は「飲み直しの旅」と訳す、1年9ヶ月のヨット旅行記。この旅行が、彼の生きる道を拓いたようだ。

「庵を結び、炭をおこす」が手元に、南太平洋で輝いている星に手を合わせたい。

 

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

 昨日は、新型コロナの影響で縮小された 75年目の原爆死没者慰霊式・平和祈念式が開催された。

 1989年のことになるが、太平洋戦争が始まったパールハーバーから原子爆弾が投下された広島をレースで結ぶこと自体が、“平和への賛歌”である。日本人が「ヒロシマ」と言えば、米国人は、「真珠湾」を持ち出す。「この深い溝をこの国際ヨットレースで埋めたい」という願いが、私たちの胸の内にあった。

 つまり、このレースは平和を祈り、平和の大切さを訴える“平和巡礼”の意味を持っていたのであった。この趣旨を理解した国際連合は、「キアロア二世」に対し、国連旗を掲げて太平洋を渡ることを許可した。国際ヨットレースに国連旗を掲げた艇が参加したのは世界で初めてのことだった。

 「平和ボケ」から脱し、他国からの威圧を排除し「いかに平和であり続けるか」を真剣に考えてみたいものだ。

9年前の問題児 Macbook Proが、昨年の夏は熱中症にかかり、諦め気味で、右側を求めましたが、もう駄目かと思いつつ広島市内に入院させど金だけ取られて詐欺にあった気分、秋葉原へと入院し、修理保証半年で帰ってきた。

3月末、また調子を壊し、You Tubeで、Netで色々と学び、サツキが咲く前に一ケ月ぶりに思ったより安く蘇り、バンザイ・バンザイです。

この問題児で講座を見ながら、右側のMacで実習をと考えています。

ただし上手くいけばの話です。

追試を受けながら、講座の成果を早く発表できればとも思っています。

通信講座の受講生として、教員・学生割引でソフト一式を使っています。

講座(90分)のアイカーブスがあり、繰り返し見ながら操作等を自分なりの解釈で時間がかかりますがノートに書き込んでいます。 これぞ正しく50の手習です。