父の死から思うこと。 | 一人一人が自分の足で立ち 自由に表現し創造できる世界へ


今日は
8年前に亡くなった

父の命日でした。



その当時わたしは
3人目を妊娠中で


父が亡くなった4日後に
三男坊が生まれてきたので、


三男坊の誕生日が近づくといつも
当時のことを思い出します。




周りの人達は

父が亡くなる前に
直接孫の顔を見せてあげれなかったことを
かわいそうだと

励ましや慰めの言葉をかけてくれたけれど



わたしはずっと
見えない世界のことに興味があったので


その頃には

死が終わりではなく
魂に還るだけのことだと知っていたし

全てが最善のタイミングで起こるということも
理解していたので


父の亡くなる日も
息子が生まれてきた日も

それぞれが選んでいたことで


むしろ、父が亡くなるのが産後だったら
わたしは父の死に目に立ちあえていなかったかもしれないので


全てがピッタリのタイミングだったなと
今でも思っています。





父はいつでもイライラと怒っていて
物心ついた時から両親は不仲で

姉も父と相性が悪く、



元々感受性が強く
人の顔色や空気を読むことにたけていたわたしは


どうすれば父の機嫌が良くなるのか
反対に機嫌が悪くなるのかが分かっていたし、


父の不器用さや寂しさを汲み取って
さりげなくサポートしていたりしたので


父とうまくコミュニケーションがとれるのは
わたしだけだったし、

家族間のコミュニケーションの
橋渡し的な立ち位置にいました。




なので父は


入院する数日前に
わたしだけに口座の暗証番号を告げてきたり


途中で入院していた病院を転院しないといけなくなった時も、

母と姉の住む家の近くではなく
わたしの家のすぐ近くの病院になったり


最後の息を引き取る瞬間も
母と姉が病室を出て

わたし1人になった瞬間に亡くなったりと


何かと
父の意思により

色々な事柄やタイミングが
運んでいたのを感じています。





最後

父は寝たきりで
動くことも話すこともままならない状態になり


全てのことにおいて

人の手を借りて
お世話にならないといけない状況になってね。



病院が大嫌いで
人のお世話になるのも大嫌いな父だったので


最後の最後に
自ら寝たきりという逃げられない状況を作り

その中からたくさんの学びを経験して
かえっていくんだなと感じていたわたしは



母達が
少しでも長生きできますようにと祈る中、



"とても辛くて逃げ出したいだろうこの状況から、しっかりと学んで体験して
最後の瞬間がくるまで生ききって"



と、
いつも心の中で話かけ
父にエールを送っていました。




幸い
わたしの家からすぐの病院に転院してきたので

お腹の大きいわたしでも
毎日の様に顔を出すことができた。





いよいよ臨月に入り
出産予定日が近づいてきたある日、



何故かわたしは
父の側にいたいという母と姉を半ば無理やり

少し気分転換をしに
飲み物でも買っておいでと外に出し、


母と姉が
しぶしぶ部屋を出た後


『今日は良い天気だから窓開けよっか』


と父に話かけながら窓を開け

振り返って父の顔を見たまさにその瞬間、


父は

大きな口をあけて
おもいっきり空気を吸い込み

そのまま息を引き取りました。



"最後の息" 



って聞いたことはあったけれど

あぁ、これがまさに
最後の息というやつなんだなと


2人きりの病室で

泣きながら懸命に
ナースコールを押すわたしとは裏腹に

どこか冷静な視点のわたしがいました。





亡くなる直前まで
痩せ細り呼吸もとても苦しそうで

実年齢よりもだいぶ老け込んだ
しわしわのおじいさんのような顔をしていたけど


亡くなった直後は

さっきまでのおじぃとは別人の
20歳くらい若返ったのかとびっくりするくらい

とてもキレイで穏やかな顔をしていてね。





苦しい病院生活だったけど

しっかり最後まで生ききったんだな。


これでやっと、楽になれるね。


本当に本当に

長い間お疲れ様でした。




と、
 
先生と看護師さんが
あわてて心臓マッサージをしている
慌ただしい病室の中、

急いで戻ってきて
横で泣き叫ぶ母と姉の姿を


病室の椅子に座って眺めながら



わたし1人

静かな別空間にいるような
何か映画かドラマでも見ているような


そんな不思議な感覚でいた

最後の瞬間でした。







多分父は、

母に最期の瞬間は
見せたくなかったんじゃないかなと思うのです。


わたしがあんな風に
2人を無理やり外に出すようなことは

この時が最初で最後だったし


この時必死になって
早よ行っておいでって
追い立てるようにしていることが

自分でも不思議だったから。





そんな父の最期の話は

前にもブログに書いた気がしないでもないけど


なんだかまた
改めて綴ってみたくなったので


丸8年たった命日の今日、

記録として綴ってみました✨




身近な人の死は

人間として生きているということを

より鮮明にしてくれる。




どんな風に生き

どんな最期を迎えたいのか

わたしも改めて考えてみたいと思います。





実は

父が亡くなった後も、
色々と不思議なことがあったので


それはまた別記事で٩( 'ω' )و✨





今日一日

良い一日だった人も
そうでなかった人も

みんなみんな

お疲れ様でした♡