父の死から思うこと -死後のあれこれ編- | 一人一人が自分の足で立ち 自由に表現し創造できる世界へ



前回、
父の8年目の命日の日に

亡くなった当時のことを振り返って
記録として綴ってみたので



今回は

亡くなった後にあった話を綴ってみます💡







父が息を引き取った時に病院にいたのは
母と姉とわたしの3人だったので、


連絡を受けた主人や子供達、
姉の子供達も急いで駆けつけてくれてね。




その時、
病室前には病院の人だったか検死の人だったか
誰だったかは忘れたけど、人が2人立っていて


駆けつけてきた家族達を
部屋に案内してくれていたんだけど、



姪っ子が来た時、

病室に入ってくるなり
興奮した様子で


『なぁなぁ!病室の前に、
じぃじがニコニコしながら立ってた!!』


と言い出した。


えっ!!?

と思って見直した時には
病院の関係者の人の顔に変わっていたらしい。




姪っ子いわく、
父はとっても笑顔で笑っていたらしく、


わたしは父は、
死んだ悲しさとかよりも


"やっと自由になれた〜!!✨"


って、生きる苦しさから解放されて
喜んでいる気がしていたので
 

姪っ子の話しを聞いて、

やっぱり父は今、
自由になって解放されて
本来の陽気で喜びに溢れた父として

ここにいるんだなと思った。



わたしが物心ついた頃から
父はずっと怒ってばかりいた半生だったけど、

本来はとっても陽気な性格で
人を喜ばせたり驚かせたりするのが
とっても好きだった父だったようで

しょっちゅう色んなサプライズをして
母を驚かせていたそう。





お酒を飲んで酔っ払うと、
普段我慢したり蓋をしている感情が
出てきやすくなるので、

(飲みの場にあるエネルギーの影響を受ける場合もある)


普段は温厚な人が

泣き上戸になったり
愚痴を言ったり
怒ったりするとかってことは

よくあることだけど、



うちの父は
日頃、陽気な性格を封印してるもんだから、

酔っ払った時はいつも
ものすごく陽気なおじさんで、

その時だけは
母とも普通に会話できてた笑

(普段は怒鳴ってばかりでまともに会話できなかった)




本来はそんな資質があるのに
怒ってイライラしてばかりだった人生は

めちゃくちゃしんどかった人生だったろうなと
今はより一層そう思う。





そんな姪っ子の目撃談から始まり

その後も
父の存在を確かに感じることが
何度もあった。




写真がほとんどなかった父なので
遺影写真に使える写真がないと
困った母から電話があり、


我が家にあるわけがないと思いながらも
家にある写真の束を取り出した時、

一枚だけヒラっと落ちてきた写真が
まさかの父の写真だったり

しかもなかなかえぇ顔してた←
きっと父はこれが良いんだろうと思い、遺影写真に決定💡




通夜の夜、

父の兄がわたしの旦那氏と
飲みながら話していた時、

途中からおじさんの口を通して
父がしゃべっているのを感じたり、


これは七回忌とか49日の時もそうだった。

わたしの旦那氏とおじさんが飲んで話しているうちに
途中から、

『あ、これ父だな。』

って旦那氏もわたしも同時に感じる瞬間がある。




お葬式の当日には


姉の職場の人で見える人がいて、
その方がお焼香に来てくれた時

父が棺の横に立って、
ニコニコしながらみんなを眺めていたらしい。

まさによく聞くお葬式あるある。
その時の父はどんな格好でいたら聞いたら、生前よく着てた服装そのものだった。




ちなみにその時
わたしのお腹にいた三男坊は、

お腹の中でまばゆいくらいの虹色のオーラで
キラッキラに輝いていたそう🌈✨

なんか泣ける。。😭




そして、
お葬式も火葬も全て終わり

葬儀の次の日はもう完全に疲れ果てて
一日死んだように寝て、


体力が回復した次の日の朝。


強烈な陣痛に襲われ、

旦那氏と子供達だけでなく
母と姉と姪っ子までが出産に立ち合うという
謎の大声援の中、

三男坊は無事に生まれてきました🤱✨

正直、陣痛で苦しんでる中、姉や姪っ子がずっとやいのやいの話かけてくるから、全然お産に集中できなかったよ←





そして、

亡くなってからちょうど49日がたった頃

わたしは夢の中で実家にいた。



母が洗濯物を畳みながら
姉と話をしているんだけど、

その話に
横から父が陽気に合いの手を挟んでいてね。



でも、
どうやら父の声は

母と姉には聞こえていないようで
全然父に気づいていなくて。



しばらく陽気な合いの手を入れた後、

父は洗濯物を畳んでいる母の側にいき
後ろから母をぎゅっと抱きしめて


『お疲れ様でした。』


と、言ったのです。




"愛してる"とか

"苦労かけてごめんね"

とかでもなく、



"お疲れ様でした"


と言ったこのたった一言に、

全てが詰まっている気がした。









そこで
パッと場面が切り替わると

父とわたしの2人になっていて、



父はわたしの両手を握りしめながら、


『えみなら大丈夫や✨
頑張るんやで』


的な言葉を
色々とわたしに話してくれた。




そして

『そろそろいくな。』


と言って、
握りしめていた手を離し

そのままスーッと斜め後ろに
父は上がっていった。




ずっと泣きながら話を聞いていたわたしは、

思わず


『いかないで!!!!』


と泣きながら叫んでしまい、


そしたら
秒で戻ってきた🤣🤣笑




結構遠くに離れていこうとしてたのに、
もうほんとに漫画みたいに


ビュンッ!!!


って一瞬で戻ってきて笑
またわたしの手を握った父は、


もう父の顔ではなくなっていてね。






見たこともない

真っ白なお面みたいな顔に
赤い線が何本か書いてある


歌舞伎役者とかキツネのお面みたいな
雰囲気の顔で、
(でもちょっと違う)



でも、確実に父の存在ではあり、


そのまま少し会話をした後


優しく



『もうそろそろ眠りな』



と、

父が言った言葉を最後に
夢の中で意識が遠のいて


次の瞬間パッと目が覚めた時には


明け方の布団の中で
寝室の天井に向かって泣きながら両手を伸ばしている


この世界のわたしに戻ってきていた。




あまりにもリアルに
さっきまでの手の温もりも光景も
残っていたもんだから、


旦那氏がビックリして
心配で飛び起きたくらい


しばらく涙が止まらなくて号泣してた。





あの白い顔はなんだったんだろうかと
しばらくずっと謎だったんだけど、



今になって思うのは


父はちゃんと成仏していて、

あの日
わたし達に別れを告げにきた後にはもう


生前の父の姿から離れ
あちらの世界での姿?になっていたんじゃないかなと思っています。




母の夢ではなく、

わたしの夢に出てきて
母へのメッセージを伝えてきたあたりも

なんだか父らしい。




この世界の夫婦の概念で見ると


わたしの父と母は
夫婦と呼べるものではないくらい
色々とあったし仲は悪かったけれど、


どんなに最低だと思うような相手でも


魂レベルで

共に鏡しあいながら
学び合おうと決めて約束してきたご縁で、



過去世やカルマ的なものも含めて
色んなご縁が絡まっての今なので


どの夫婦の形が良くて成功だというような
この世界での物差しで計ることは
できないのだと思う。





モチロン
夫婦の縁は一つではないし

別れて別の道を選ぶ選択肢も
無限にあるのだけれど、



そんな中でも

夫婦として共に切磋琢磨してきた
父から母への


"お疲れ様でした"


という言葉は、



一つのスピリットとしての敬意も含めた
言葉だったのではないかと思います。






そんな父は今、



昔ブログかどこかで書いた気がするけど


再びわたし達と家族になりたいと

あちらで生まれ変わる準備を
せっせとしているらしく

(とある見える方談)


次は女の子として
わたし達家族の誰かから生まれてくるとか🤣




姉か姪っ子から生まれてくる可能性が
高いらしいのだけど


もしも実際に女の子が生まれてきたら、
なんともいえない複雑な心境になりそうです笑


もし女子が生まれてきたらまたブログで報告します←






そんな訳で今回は、


父の命日ブログからの

死後のあれこれを振り返って
ツラツラと綴ってみたブログでした💡




今日も良き一日を♡