~嗚呼、我が青春の~ | 山アリ谷アリ平地ナシ

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喜怒哀楽を吐き出す自分自身の為の吐き溜めBlog。
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西尾知矢さんやfunk ojisan、喝メタルさん、タメシビキ!
葛西ブルーズ、濱田製作所、
出演回はプロフィールにリンク有。

京都のスタジオラグWebマガジンにて一部記事を転載中!

それまでTVゲームや安いモデルガンでしょぼいサバイバルゲームとか、決定的な目的は無いままに遊んでた。

そんなある日、そんな遊びを一緒にしてた友達のM君がエレキギターを購入して、連れのO君もエレキギターを購入。 M君の家にいつもの様に行くと、2人してギターを弾いてて、ビックリした覚えがある。

その内、

M君「じゃあベースね。」

俺「ベースって何?」

ここから俺の音楽と言うか楽器人生は始まった。

そんな中学二年生でした(笑)

ベースと言われても、中二では楽器を買えるお金、小遣いも貯金すらない上に、楽器が好きでやりたくて始める訳でも無かったから、「買わなきゃいけない」なんて思いも無かった。
連れの中に寺の息子ってのが居てね、金持ちだったのもあって、M君の口車で寺の息子にベースを買わせる事(笑) そのベースを俺は使ってた。 FenderのSquierだったかな? のジャズべ。

いきなりM君から聖飢魔Ⅱをやりたいと言われやるも、難し過ぎてダメで、何故かBLUE HEARTSを最初にやった。M君は親戚からドラムセットを譲り受けて、M君の家にはドラムがあり、いつもM宅でやってた。 M君にO君、ドラムにU君でね。

俺も自分のベースが欲しくなり、新聞配達をしてAria ProⅡってメーカーのゴールドのラメが入ったパールホワイトのベースを買い、FenderのBM-20Cだったかな? っのアンプを買った。

しかしまぁ中二と言えば、色んな事をして遊びたい年頃、その1つ的で遊び感覚のバンドは長くは続かなかったね。 自然消滅した感じになったかな。
当時ベースの何たるかまでも分かってなかったから、バンドが無くなった事で、O君よりFender Squierの赤に黒ピックガードのストラトを借りて「ギターも弾ける様になっておこう」って何か思っちゃったんだよね(笑)

そうしてる内に、ベースよりもギターの方が弾ける様になってしまって、ギターへ転向。 ベースとベースアンプを売り、その金と新聞配達した金で、当時出たばかりだったTARGET by FERNANDESのモッキンバードを購入した。 M君が聴いてたのもあって、Xは聴いてたし、初見ではHIDEの持ってたモッキンバードを「何だこの形は」なんて思ってたのにね(笑) 本家のHIDEモデルは高くて買えなかったから、TARGETが精一杯ですよ。

そして何故かO君はベースに転向、そして家にドラムがあるならとM君がドラムに転向。
別のギターとしてT君を入れてやり始めたのが中学三年から高校一年。 ヴォーカルにMA君が入り、年齢制限や学校の規則何かで出れなかった地元のU楽器主催ののROCK SPIRITSってイベントに高校生になった事で、エントリーして無事テープ審査が通り出演出来る事になった。

当時LUNA SEAとかコピーしてたけど、ROCK SPIRITSには何故かGuns n' Rosesで(笑)
確かO君が日本人バンドをやるのは恥ずかしいなんて言ってたんだっけか? T君が先輩の影響で洋楽、Guns好きだったのもあってね。

ROCK SPIRITS前に、俺は他のメンバーと行ってる高校が違ったんだけど、M君やT君の先輩が地元の駅前でフリマをやり、客寄せの為のライブをやるってんで、見に行った時に、1曲だけ俺とT君のギター組は飛び入り参加させて貰った。

これが俺にとっての初ライブだろうな(笑)

そして、ROCK SPIPITSも終えて、T君がバンドを抜ける事になるんだったか。 元々、T君はやっぱ洋楽やりたい見たいだったし、俺や他メンバーはXやLUNA SEAとかだったからね。 それでバンドは解散したんだと思う。 記憶ではね。

高校に入ると、同じ様にバンドをやってるヤツもいるし、密かに俺達がやってるからと周りで楽器始めてたりって人も居たりして、俺はM君と「またやりてぇな」って話はしてたかな。

そんな高校二年の時に、新しくバンドをM君と始める。 丁度、クラスのヤツから「すまんがCDを買ってきてくれ」と何かのついでに頼まれたんだったかな? そのCDがCRAZEだった。
それからだよね、CRAZEにドハマりしたのは。 「BE CRAZY」ってアルバムで、それまで刻みや速弾きソロ、ヴィジュアル特有ばかりの音楽を聴いてた俺には新鮮だったし、次の「That's Life」は今だに俺の中では名盤やね。

そんなCRAZEにハマった俺はM君とのバンドでCRAZEをコピーしたね。
地元は田舎なもんで、ライブハウスと言うライブハウスが無くてね、行動力のあったM君は友達のバンドを集めて、公民館を借りてライブイベントをやる事になる訳。

そこで俺は新しくギターを購入する。

瀧川一郎さんにハマったからね、Fernandes RE-180Cは定価18万、販売価格でも13万5千はしたから、俺にとっては高嶺の花だった。
そんな中、当時はまだミュージシャンモデルってのがピークで、大手の楽器店では良く「~楽器店オリジナルモデル」ってのがあったのよ。
例えば、HIDEのモッキンバードでも、当時は廉価版でMG-120XやMG-115C、MG-80XがFERNANDESから出ていて、楽器店のオリジナルモデルって事で、同じFERNANDESが製作していながら、本人と同じスルーネックだったりマッチングヘッドに「F」マークで8万で売ってたりで、本人が怒るんじゃね?ってのはあったね(笑)

事実、色んな楽器店から本物じゃないけど、蛇革の布を張り付けたレスポールタイプをFERNANDESで製作で出してたのよね。 それで瀧川一郎さんが怒ってメーカーを通して楽器店側に止めさせたって事がある(笑)

そんな古き良き時代?
雑誌「バンドやろうぜ」、通称バンやろの広告にて、W楽器店オリジナルのFERNDES LP-85JPCって紫のレスポールタイプがあって、「コレだ!」っと、当時はファミレスの厨房でバイトしてたけど、その給料と少し足りなかったのは、来月に返すと約束して親から借りて、念願の紫のレスポールタイプを通販で購入する。

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【FERNANDES LG-85JPC STP】
実はこれ合法的で、STP(シースルーパープル)の他、SBK(シースルーブラック)があり、当時GIBSONから出たJoe Perryモデルがあり、そのコピーってのがあくまで表向きで、その色違いで紫があると。 決して一郎さんのRE-180Cのコピーでは無いと言ってた(笑) 「JP」がJoe Perryの略やね。

普通のレスポールタイプなんで、RE-180C見たいに薄型ボディじゃなく、普通にレスポールのボディ厚。

さて、購入当時もっと紫が濃かったけど、使いまくって色焼けして明るくなってピンク掛かってるけどね。
当時、木目のプリントが使われるのは廉価版等では一般的だったけど、これはちゃんとトラ目のフレイム・メイプル。 セットネックだし、価格は5万8千だけど、この価格で、このクオリティは画期的だった見たい。

当然、W楽器店オリジナルモデルなんで、FERNANDESのカタログには載ってないけど、まぁ何となくスペックを(笑)

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●Body:Flam Maple Top/Mahogany Back
●Neck:Mahogany
●Joint:Set-Neck
●Finger Board:Rosewood,22F,350R
●PU:DiMazio PAF(タップ配線)、DiMazio The Tone Zone
●Controls:2Volume,2Tone(dummy),3-Way Toggle-SW
●BRIDGE:GOTOH GE-103B/GE-101Z
●MACHINE HEAD:GOTOH SG

こんなとこ。
オリジナルから改造したのはPUを当時の瀧川一郎さんと同じDiMazioの配列とフロントPAFをタップ配線。 トーンをカット。
社会人になってからはブラックだったパーツを部分的に削ってシルバー部分を雰囲気で見せてる(笑)




そして裏。

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バックル傷が(笑)



ヘッド。

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人によってどうか分からないけど、メーカーロゴはBurnyで、まぁ俺はBurnyとFernandesは同じなんで、別だとか拘りはありませんね。



ヘッド裏

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何の変哲もない。
っで、裏を見て分かる通り、社会人になってからだけど、Zakk Wyldeにハマった事でネック裏の塗装を削ってる(笑)





さて、これをライブイベントに間に合わせてライブした訳です。 まぁ、周りからの反応は頗る良かった記憶がある。
この時のヴォーカルが社会人になってから、事故で亡くなったってのをかなり後から聞いたんだよね。 この時のライブ、他の友達バンドの曲を数曲ずつと、俺達のを全曲を編集録音したカセットテープが手元にあるね。

その後も、ユースケ・サンタマリアも高校生時代に出た事もある「高校生ロック選手権」にも出たり。 何故かユースケ・サンタマリアが出た年のビデオが家にあったりする(笑)

ライブイベントと高校生ロック選手権は別のバンドでだけどね。 後は高校でクラスメイトに頼まれて、三年生を贈る会や文化祭でGLAYをやったりしたっけか。 GLAYの音源は当時からも今だに1枚も持ってないけど(笑)

そんな高校二年の中盤に、M君の高校に歌が巧いと噂があった最近TVでは見掛けないけど、プロゴルファーと結婚した穴井夕子の弟が同い年にいるって事でコンタクトを取り、そのA君をヴォーカルに、H君を初心者ながらベースにして、「Selection」と言うバンドを組んだ。

このバンドで初の配布用のテープや、初のオリジナル曲を作った。
まぁ影響を受けてたからCRAZE見たいな曲ばかりね(爆)

オリジナルをしっかり録音する為にレコーディング出来る福岡は博多のスタジオを1日借りてレコーディングしたね。
初のオリジナルカセットテープを俺は\200で友達に売った。 今でも手元にあるけど、流行なんて関係なくやってるから、腕は下手だけど楽曲は「今でも良い曲じゃね?」なんて思ってしまう、自画自賛(爆)

っんで、再び公民館を借りて、ライブを行う。 A君の住んでる地域が俺の行く高校の近くで、俺のクラスメイトにA君と友達の人も多く、このライブは結構人が来たね。

その後も楽器店主催のライブイベントに出たりして、高校卒業後に最後バー見たいなとこを借りて、卒業解散ライブをやった。

大阪に上京して、そこでもM君と新しく組んだバンドで今は無きバハマや心斎橋MUSEなんかでやったな。 実はこの当時、ビジュアルなんて糞だと思いながら、ビジュアル系見たいなのをやってたと言う(笑) まぁ、CRAZEハマってからはビジュアル系には全くだったからね。

今にして思えば、CRAZE、特に「That's Life」から化粧や衣裳で変身する見たいなのを嫌ってたと思う。 露骨にありのまま自分を曝け出した感に格好良さを感じてたわ。

「化粧してる時間があるなら、その時間少しでも巧くなる様に練習しろよ!」って言ってた(爆)

そして、このギターを買った数年後にW楽器店で働く事になろうとは…!(爆)
5年間働きました。

今のGIBSONを手に入れるまで、このギターを使ってきた。 地元の連れもこのギターを弾く俺ってイメージは強いと思う。 このギターに懐かしさも覚えるだろうね。
まぁ今の周りは、GIBSONを弾く俺のイメージだけど。





さて、ブログで紹介する為に久々に引っ張り出して、弦交換やワックス拭きをして、弾いたり、アンプで鳴らしてみたりしたけど、「糞重い!」(笑) 国産メーカー特有の重さでボディが木の固まりかって重さやね。
そして、激鳴り。 いや~我ながら無茶苦茶使ってきたなぁってのがあるから、鳴ってて当然なんだけどね。 生音からして良かった。

まぁ今でも使えるけど、フレットやナットの交換やポッドや配線の見直しは必要やなとは思うね。
俺的には殿堂入りの青春の詰まったギターやわ。 1本目のTARGETのモッキンバードは実家が2度引っ越しをしてて、2度目の際に処分したらしい…、何と言う事を!(笑)

そして、このギターを弾いた事で、改めて現メインのGIBSONのパーツ交換を決める訳です!!

なんたって、生音はGIBSONよりも響いてたし、アンプからもギターらしい音でよかった。
まぁ弦の太さやPUの違いはあるけど、GIBSONは生音はコモってるし、アンプからは音が硬い(EMGだから仕方無いけど)。





このギターの鳴りをGIBSONでも出したい!!





って事で、来週の機材関係の内容のブログで何年ぶりかにパーツ交換をしたメインギターの記事にします。 興味ある方は是非。





今回も長々と、





人に歴史アリ、





俺にも歴史あるのよ!





って事で(笑)