いやいや、風立ちぬって堀越二郎が、カプロニ伯爵と時限を越えた友情とか、訳わからないけど、飛行機設計者の話しでしたけど…
世の中、恐ろしいもんで…
我が国日本には堀越二郎が幼稚園児に見えちゃう位の鬼の用な飛行機野郎が居まして(笑)そいつは、堀越二郎もカプロニ伯爵よりも無茶苦茶やってる凄い人(笑)。
しかも頭は死ぬほど良くて、ひたすら日本の国防は飛行機の発達無くしてあり得ないってライトフライヤーが飛んだニュースを知って即最終解脱した、凄い人(笑)。
そいつの名前は…
中島知久平
って中島飛行機の創始者にて日本の飛行機の始まりは知久平が、大体全部関わってるって凄い人(笑)。
しかも海軍機関学校を優等で、卒業して海軍大学も卒業って超エリートなのに…
戦艦にはそこそこに飛行機にしか興味ないって(笑)。
後は、ひたすら日本の防衛には飛行機しか無いって大正前には確信していて研究に没頭するも、普段の任務もちゃんとこなす偉い人(笑)。
でも大艦巨砲主義の絶頂期なんで、回りからは変わってると思われてが、海軍初の飛行機製造に最初から指名されて担当者になる。
後は知久平って人は時に強引にヨーロッパの飛行機事情を探る為に英国王戴冠式に派遣途中に放浪(笑)。
後は陸軍の飛行機関係者とも交流して、人脈を広げる。
でも、途中で知久平はお役所仕事の海軍では飛行機の技術革新にヨーロッパから置いてきぼりになると焦ります。
飛行機の技術革新でヨーロッパに追い付くには企業として独立しないと不可能と結論する。
でも知久平は海軍機関将校のエリートさんなんで海軍は辞めさせてくれないので、頭を抱える(笑)。
素行不良の振りするけど、根が真面目なんで回りからも暖かく見守られる(笑)。
注 この頃の海軍には凄い人が、沢山居すぎたんでまだまともに見られたんでしょうね(笑)。
その後、真面目に海軍を円満に辞める為の研究を始める(笑)。
この頃に相談した人達が、凄い著名人ばかりなんで、調べてる方が腰を抜かす(笑)。
何とか円満に海軍を辞めて会社を立ち上げるけど、飛べる飛行機が作れない(笑)。
外国の飛行機会社とライセンス契約して技術力を高めて、何とか飛ぶ飛行機を作れるようになる。
この頃は軍に居た時代の人脈が非常に役に立つ。
後は本によっては知久平は海軍との関係が良くないみたいな事が書いてありますが、あんまり関係無いみたいですよ⁉。
その後は皆さんの知っての通り、中島飛行機製作所は東洋最大の航空機製造会社になりました。
知久平は30年代には会社経営者から政治家に転身します。
最近やっと理解出来ましたが、大戦中の飛行機の改良や開発が早かった最大の理由は企業が開発したからなんですね。
戦車や大砲は基本的に陸軍のお役人が、やってたから、全然出来なかった訳ですね(笑)。
ドイツが、戦車や飛行機の開発が非常に早かったのは全て企業に発注して任せてたのが良かったみたいです。
知久平は飛行機の開発は海軍でやると企業でやるより6倍時間が掛かると言ってましたが、本当にその通りでしたね(笑)。
後は戦車の開発をしたいって技術者が殆ど居なくて、みんな飛行機か船に行ってしまうって問題もありましたね(笑)。
知久平は戦後にGHQから、公職追放戦犯指定を受けますが、(中島飛行機設立事の決意表明が問題視されたそうです❔。)ちょっとごねて、逮捕される前に寿命を迎える(笑)。
なんか知久平は調べると、面白い事がうぢゃうぢゃ出てきて笑えます。
全く凄い人だわ…😓。
人生全て日本の航空機開発と国防の為に捧げたのは、良いけど無茶苦茶やってるよ(笑)。
中島飛行機は総括すれば、飛行機の設計は何とか欧米に追い付きそうだったんですが、それ以外の全部がダメダメだったのは間違いないです。
まぁ日本の航空機開発がやっと復活できた今日この頃ですが、当時の日本人は本当に凄いよ(笑)。
最後のオチは知久平は人生を国防に捧げたので結婚もして無いんですが、やっぱりお子さんは何故か居たみたいです(笑)。
そういればお孫さんは政治家でお縄になっちゃったんですよね(笑)。