仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(_ _)m
戦国の群雄割拠のあの時代、兵どもが覇権を掛け、愛する人を守るため、命懸けで火花を散らしたのが、歴史好きのみなさんが心躍る戦国時代。
シュミレーションゲーム信長の野望や戦国BASARAなど、ゲームのヴァーチャル世界では、各武将の強さがパラメータで決められたりして、それをもとに雌雄を決することになりますが、
こんな戦国武将対決は前代未聞!ブログ上で勝手に戦国武将の一騎打ちをやって頂きましょう!
ルールはいたって簡単です。独断と偏見で5つのお題を提供しますので、みなさんはその内容をご覧になって、どちらが勝っていたか?勝ち負けを判定して頂ければOKです。
記念すべき第1回は、「大河ドラマ視聴率1位の伊達政宗」VS「七度主君を変えた男 藤堂高虎」の対決です。
では、早速参りましょう。
1回戦は、「イケメン対決!」
よくお目に掛かる肖像画で、どちらのイケメン度が勝っていたかを判定してください。
えこひいきになるとアンフェアなので、あえてコメントは付け加えませんので。
まずは、伊達政宗様!
続いて、藤堂高虎様!
あなたの判定は決まりましたかな?
2回戦は、「身長対決」!
藤堂高虎様の身長は6尺2寸(約190センチメートル)の大男だったんだとか。
一方の伊達政宗様は推定159.4cm
さて、あなたの判定は決まりましたかな?
3回戦は、「寿命対決」!
伊達政宗様は享年70歳
藤堂高虎様は享年75歳
さて、あなたの判定は決まりましたかな?
4回戦は「石高対決!」
今度は、藤堂高虎様から
最終的な石高は、伊勢・伊賀・伊予などを合わせて32万3,950石となっております。
注目すべき点として、彼の出自は近江国犬上郡藤堂村(現・滋賀県犬上郡甲良町在士)の土豪である藤堂家の次男として生まれ、放浪の末に豊臣秀長や徳川家康に見出され、幾多の加増を経て最終的に伊勢国・津藩の大名へ大出世を果たした「出世大名」として知られている点です。
先祖代々由緒正しき武家の生まれでは無い身の上から、1代で築き上げた32万石。
続いて、伊達政宗様
石高は62万石となっております。
奥羽の名門伊達氏の第16代当主・伊達輝宗(てるむね)と、正室である最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男として生まれ、虎哉宗乙から英才教育を受け、17歳のときに伊達家の17代当主となります。その後、領土拡大を図り、秀吉・家康の時世を経て、62万石に辿り着きました。
家康から「百万石のお墨付き」を頂いたという経緯もありましたが、、、。😔
単純に数字だけ?それとも、西国VS東国?、エリートVS叩き上げ?あなたの判定は?
ラストの最終決戦の5回戦はズバリ、旗指物の逸話対決!!(えっ、なんで?)
先行は伊達政宗様
伊達政宗の旗指物(軍旗)で最も有名なのは「白地赤日の丸」です。白地に大きな赤い丸を染め抜いたもので、政宗の父・輝宗の代から定められました。頭上に輝く兜の金の三日月(月輪)と合わせて、仏教の密教における宇宙観(日輪が金剛界、月輪が胎蔵界)を表現したとされています。また、この日の丸のほかに「勝色地金丸(紺地金丸)」といい、「紺地に金の丸(金の日の丸)」の旗も戦場において数十流という多さで用いられており、政宗の派手好みな性格を象徴する旗指物として知られていました。
詳しくは、こちら↓
後攻は藤堂高虎様
藤堂高虎の旗指物(および旗印)として最も有名なのは、紺地の布に白い丸を縦に3つ並べた「三つ白餅(みつしろもち)」です。このデザインには、高虎の苦難に満ちた若き日のお腹を空かせたエピソードと、戦国武将としての大きな野心が隠されています。
高虎がまだ何の後ろ盾もなく、仕官先を求めて放浪していた極貧時代のことです。
三河国(現在の愛知県)の宿場町で、高虎はあまりの空腹に耐えかね、ある餅屋の店頭にあった餅を無我夢中で何個も平らげてしまいました。
食べ終わったあと、お金がないことに気づいた高虎が店主に平謝りすると、主人は怒るどころか「いい食べっぷりだ。出世したら出世払いにしてくれればいい」と言い、さらに旅費(路銀)まで持たせて送り出してくれたのです。
初心を忘れないため: 後に大名へと大出世を遂げた高虎は、この時の恩を生涯忘れず、若き日の飢えと感謝の記憶を忘れないために「餅」を旗印に採用しました。(後年、大名行列の途中にこの餅屋へ立ち寄り、大金を払って恩返しをしたという美談も残っています)
「城持ち」への願掛け: 白い餅(しろもち)の響きを「城持ち(しろもち)」にひっかけ、いつか一国一城の主になってみせるという、いかにも「築城の名手」と呼ばれた高虎らしい強い決意が込められていたとも言われています。
詳しくはこちら↓
さあ、最終決戦の末、どちらに軍配が上がりましたでしょうか?
こうして、いろいろなポイントで武将同士を戦わせてみるのも、面白いかもしれないですね。(^^)
※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。


