打ち首!本当に刀だけで首を落とせたの?斬首の不思議 | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

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戦場で討ち取った敵の首を切り落とし、自分の手柄(戦功)の証拠とする「首級(くびじゅ・しゅきゅう)」の風習が、日本の戦場で組織的・ 一般的になったのは「平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて(12世紀後半)」なのだそうです。

 

そもそもどうして相手の首を取って手柄とする風習が定着したのでしょう?

 

古代中国(秦の時代など)では敵の首の数で階級が決まる「首功制」という制度があり、これが日本の武士のルーツである坂東武士(関東の武士)たちに影響を与えたという説があります。

 

また、人間の体の中で最も個人を識別しやすく、替えが効かないパーツであったことが最大の理由です。

 

つまり、最初は「本当に自分が倒したという証拠物件」として始まった首取りが、源平合戦を通じて武士のメンタリティや恩賞制度と結びつき、日本の戦場における絶対的なルールになっていったと考えられています。

 

仙台城の大広間跡には「首実検の間」という、なんともおどろおどろしい間があった場所が復元されています。カメラのない時代に敵将の首級(首を取ってくること)が雑兵のものなのか?名高い武将の首なのか?を見分けるには、その顔を見たことがある人に確認してもらう必要がありました。それが、首実検です。

 

では、日本で最初に斬首=打ち首になったのは誰だったのでしょう?

 

正解は、歴史的な信頼性がある最古の歴史書『日本書紀』において、刑罰または戦死後の処置として首を切り落とされた(および晒し首にされた)最古の記録は、飛鳥時代の物部守屋(587年の「丁未の乱」)とされています。

 

蘇我馬子や聖徳太子の連合軍に敗れた物部守屋とその一族は、死後に**「八段(やきた)に斬りて八国に散梟(さらしくし)させ」**(体を8つに切り刻んで各地に晒した)と記録されており、これが日本史上最も古い「首を刎ね、晒した」という公的な記録とされています。

 

でも、不思議に思いませんか?

 

いくら日本刀が優れていたとして、そう簡単に人間の首を切り落とすなんてことが本当にできたのでしょうか?

 

結論から言うと、人間の首を刀(日本刀)だけで一撃で切り落とすことは、技術的には「可能」でした。ただし、ドラマや映画のように「誰でも簡単にスパッと落とせる」というものではなく、強靭な肉体、極限まで磨かれた技術、そして計算された状況が揃って初めて成し遂げられる「職人技」の領域だったのです。(大河ドラマ豊臣兄弟で宮﨑あおいさん演じるお市の方が夫の浅井長政の介錯をするシーンがでてきましたが、さすがにそれは、いくらなんでも、、。)

 

では、なぜそれほどまでに難しいのか、そして歴史上どのようにしてそれが行われていたのか、3つのポイントに分けて解説します。


1. 「骨と皮」という最大の難所


人間の首は、想像以上に硬い構造をしています。太い頸椎(骨)が通り、その周りを頑丈な筋肉と、伸縮性があって刃が滑りやすい皮膚が覆っています。


刀は「叩きつける」だけでは骨に弾かれて止まってしまいますし、逆に「引いて切る」だけでは皮や筋肉で止まってしまいます。一撃で落とすには、「骨の関節の隙間に刃を正確に滑り込ませつつ、引き切る」という絶妙な刃の角度(刃筋)とスピードが求められました。


2. 首切りのプロフェッショナル「御様御用」


江戸時代、江戸幕府の公認で死刑執行(斬首)や刀の試し斬りを一手に引き受けていたのが、有名な「山田浅右衛門(やまだあさえもん)」の家系です。彼らは世間から「首斬り浅右衛門」と恐れられつつも、超一流の技術を持ったプロ集団でした。


彼らは罪人を座らせ、うつむかせた首の「盆の窪(ぼんのくぼ:うなじの中央のくぼみ)」と呼ばれる関節の隙間を狙って、一瞬で刀を振り下ろしました。


彼らの技術があまりに高かったため一撃で落とせましたが、経験の浅い武士がやむを得ず執行した際などは、何度も失敗して凄惨な現場になったという記録が数多く残っています。


3. 切腹のときに行われる「皮一枚残し」


武士の名誉ある死である「切腹」の際、介錯人(かいしゃくにん)が首を斬るのも日本刀です。
この時、実は「完全に切り落とすのは不調法(マナー違反)」とされていました。
抱き首(だきくび): 首の前面の皮一枚だけをあえて残し、首が前にぶら下がる状態で止める技術。これは、切り落とされた首が地面をごろごろと転がって汚れるのを防ぐため、また「首が胴体から離れるのは不吉」という思想から生まれたものです。完全に切り落とすよりも、「狙った深さでピタッと刃を止める」ほうが遥かに難しく、これこそが武士の最高の技術とされていました。


ちなみに、ヨーロッパの「ギロチン」や専用の重い執行剣(実行時に重さを利用して叩き切るもの)に比べ、日本の刀は非常に軽量です。そのため、純粋に「人間の力と刀の切れ味の掛け算」だけで首を落としていた日本の斬首刑は、世界的に見ても極めて特異で、難易度の高い剣技だったのだそうです。

 

首と言って有名なのが平将門。将門の首は京都の東市・西市に晒され、これが後に「首が関東まで飛んで帰った」という有名な将門の首塚伝説があり、現在東京都千代田区大手町にある、平将門の首を供養するとされる塚である将門塚は、多くの逸話が残されていますね。

 

東京に行ったら、ぜひとも訪れて手を合わせて頂きたい。

 

※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。