知ってた?お殿様って顔は見られないし、直接お話もできない雲の上の存在だったってことを | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

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仙台城のボランティアガイドが、仙台城の魅力や伊達政宗のトリビアな話を出し惜しみせず、ボリューム満載で語り尽くしまーす。(^_^)

仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

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大河ドラマや時代劇などでお殿様と家臣の距離が離れていて、「近う寄れ」なんて言って、家臣が遠慮気味に近寄ると、「もっと近う、もっと」などと言って、それこそ膝を突き合わるぐらいの距離で直接お殿様と会話をするシーンなんかがあったりします。

 

でも、あれって不思議に思いませんか?

 

いくらなんでも、志村けんのコントにでてくるようなお殿様と家臣のような光景があるわけがない!遠山の金さんも暴れん坊将軍もあまりにも現実離れし過ぎなのでは?

 

そもそも身分制度が確立されていた時代に高位な人と至近距離で会話などできたのでしょうか?

 

あなたはいいところに気が付きましたね、実態はこういうことのようです。

 

時代劇でおなじみの「ちこう寄れ(近う寄れ)」というやり取り。実は史実に基づくと**「非常に稀、あるいは儀式の形式によって厳格に決められていた」**というのが現実的なところです。

江戸時代の江戸城における登城や拝謁の場面では、座る場所が畳の数や段差によって厳密に決められていました。さらに、 一般的な家臣が主君と同じ部屋(中奥など)に入ることすら稀で、多くは隣の部屋や、さらに離れた「広間」から平伏して声を聴くのが基本でした。

 

「顔を直視しない」**のが武家の礼儀とされていましたので、お殿様の顔をまともに見られる機会は、そうそうなかったと考えられます。(暗殺を警戒するという理由もありました)

仮にお殿様に「近う寄れ」と言われたとしても、それは「1メートル先までおいで」という意味ではなくて、「敷居を越えて次の畳まで進みなさい」といった、わずかな距離の移動を許す特権的な意味合いが強かったようです。

さらに、お殿様と直接話をする「直答(じきとう)」。これはタブーでした。


お殿様の言葉にその場で直接返事をする「直答」は、原則として禁止されており、 お殿様が何か言えば、そばに控えている「側用人(そばようにん)」などの取次役がその言葉を繰り返し、家臣の返答もまた取次役を介して伝えられました。

 

よーするに仲介人を通しての会話しかできなかったのですね。

ただし、例外として 徳川家康や我らが伊達政宗様のような戦国を生き抜いたカリスマ的なリーダーであれば、個人的に信頼している家臣を呼び出し、直接フランクに話すこともありましたが、江戸中期以降の「儀礼」が固まった時代には、直答は礼儀知らずな行為と見なされました。

結論として、本当にお殿様のすぐ横(お側)まで行けるのは、身の回りの世話をする小姓や、よほど高位の重臣、あるいは主君と個人的に非常に親しいごく一部の者に限られていたようです。

 

では、なぜ「ちこう寄れ」というイメージがついたのか?

 

これは歌舞伎や時代劇の演出の影響が大きいのです。

広い御殿でポツンと離れて会話していては、映像として画面が持ちませんし、観客に緊迫感や親密さが伝わりにくいからです。

また、物語の中で「殿様がこの者だけを特別に信頼している」ということを分かりやすく示すための演出として定着したというわけです。

 

ちなみに、天皇や公家との対話については、武士の時代(特に江戸時代)になると、お殿様との対面以上に厳格な**「身分の壁」**が存在していました。

 天皇と直接会話ができるのは基本的に**「堂上家(とうしょうけ)」**と呼ばれる公家のみでした。さらに、清涼殿(天皇の居所)に昇る資格: これを「昇殿(しょうでん)」と言いますが、官位が五位以上の限られた公家だけに許された特権でした。

武士の場合だと幕府のトップである将軍や、それに次ぐごく一部の有力大名(徳川御三家や加賀藩前田家など)が、朝廷から高い官位(従三位以上など)を授かっている場合に限り、儀式的な場で対面が許されました。

 

ということは、従三位権中納言の伊達政宗様はOKだったのですかね。

 

江戸時代の「サムライJAPAN」は礼儀作法を覚え、気を遣い、金を使い、ヘビーな緊張の連続だったことでしょうなぁ。浅野内匠頭の気持ちも分からないではないです。

※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。