8/12(土)の聖光学院対仙台育英の対決、伊達家にゆかりの深い両校の対戦 | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

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仙台城のボランティアガイドが、仙台城の魅力や伊達政宗のトリビアな話を出し惜しみせず、ボリューム満載で語り尽くしまーす。(^_^)

仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

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 全国的に毎日気温が30度超え暑い日々が続いております。

 

このブログをご覧の皆さんには心から酷暑お見舞いを申し上げます。

 

さて、こんなに連日暑い最中に開幕したのが夏の高校野球。宮城県大会においては、「仙台城」の文字が校名に入った「仙台城南高等学校」が決勝戦まで駒を進めましたが、昨年の全国大会の覇者仙台育英学園が制し、全国大会への切符を勝ち取りました。

 

仙台育英の初戦の相手は難敵浦和学院との対戦でしたが、乱打戦となったものの仙台育英が横綱相撲で退けて、ほっと一安心といったところだったのですが、なんと、8・12(土)の2回戦で事もあろうに、お隣り福島県代表の聖光学院と対戦することになりました。

 

東北勢同士の対決はもっと後でもいいだろうに、と東北の高校野球ファンは思ってしまいますが、今年は隣県同士の対戦が多いというくじ運の妙、仕方がありません。


さて、この東北の高校野球ファンにはたまらない黄金カードである8・12の聖光学院VS仙台育英ですが、このカードにだけ存在する裏テーマをご存知でしたでしょうか?

実はこの2校、どちらも伊達家と深いつながりのある2校だったりするのです。

聖光学院高等学校のある福島県伊達市は、伊達家の始祖(一番最初の人のこと)である伊達朝宗が常陸国伊佐荘中村に領地を持っていたんですが、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼしに行った戦に従軍して手柄を立て、激戦地だった阿津賀志山のあった周辺の伊達郡を拝領して移り住み、現在の伊達市保原にある高子岡に城を築いて(高子岡城)地名の「伊達」を代々名乗るようになったので、伊達家の出発点のような場所にあたるのです。その後、15代伊達晴宗が米沢に城を移すまで、梁川や桑折など現在の伊達市周辺を拠点としていました。

一方の仙台育英学園。こちらは、今さら説明の必要がないかもしれませんが、伊達政宗様はもともとは現在の山形県の米沢生まれの米沢育ち、それが天下人秀吉の奥州仕置による国替えで現在の宮城県である仙台領に移ってきました。岩出山から仙台に城を移したところから仙台藩いわゆる伊達政宗様の治世がスタートする分けです。

仙台育英学園高等学校の校歌には、「青葉城」が出て来ます。

そうなのです、今回の聖光学院VS仙台育英は”伊達家発祥の地VS仙台伊達家”の代理戦争、伊達家風に言えば、「令和版伊達騒動」という見方も出来るのです。

宮城県に住まいする者としては必然的に仙台育英推しとなる分けなのですが、大変貴重な「伊達家つながり対決」を、ぜひともサンドイッチマンの伊達みきおさんに立会人として甲子園で見届けて頂きたいと思ってしまう今日このごろです。

両校には伊達政宗の辞世の句にある、”曇りなき心の月を先立てて”お互いに正々堂々、精一杯プレーをして欲しいものです。

※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。