仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(_ _)m
今日は英雄を生み出した偉大なお父さんのお話です。
モーツァルト」知らないという人はたぶん、いませんよね。
みなさんがよくご存じのモーツァルトは「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」って言います。
そう、「アマデウス」という映画もありましたね。だけど、実はお父さんの名前も「モーツァルト」。
彼のお父さんは「ヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト」って言うんです。(まぎらわしいので、以下アマデウスとレオポルトと呼びます)
アマデウスは小さいころから音楽の才能はあったんですが、彼の才能を開花させたのはまぎれもなくレオポルト父さんだった。3歳からレッスンを初め、5歳の時には一家でヨーロッパ中を演奏旅行して、な、なんとあのマリア・テレジアの前でアマデウスは演奏をしたことがあるんだとか。この一大プロモーションのお蔭でアマデウスの名はヨーロッパ中に知れ渡ることになったのです。
その後、立派な作曲家としての道を歩み始める分けなんですが、これとひじょうに良く似た「親子鷹」が日本にもいたんですねぇ~。そう、我らが伊達政宗様とお父さんの輝宗様だ。
待望の男子、後継ぎが誕生して大喜びの輝宗様だったのですが、事態は一変する。そう、5歳の時に梵天丸(政宗様の幼名ね)が疱瘡に罹って、右目を失明してしまうのです。そういう時、母親の義姫の態度は切り替え早いよね~。愛情の注ぎ先を一歳下の弟竺丸に方向転換。梵天丸があっという間に孤立してしまう。
そんなこんなでいじけて引きこもりになってしまった政宗様を見捨てなかったのが、輝宗父さんだ。優秀な守役の片倉小十郎と優秀な家庭教師である虎哉宗乙を付けて彼らに全権を委任した。彼らも手を抜くことなくスパルタ教育をしたから、政宗様は立派な武将に成長したんですよね。
その後の政宗様は皆さんがご承知の通り、奥州の覇者から仙台藩祖として隆盛を極めていったという分けです。
アマデウスと政宗様、この二人の意外な共通点、それは「父よあなたは偉かった」なんですね。
思えば、輝宗様が畠山義継の自爆テロにあって非業の死を遂げたことは大変不運な出来事でしたが、政宗様にとってはこの時の怒りが、ドラゴンボールで言うところの「クリリンのことかー」につながってスーパーサイヤ人へと進化して行ったと見るならば、輝宗様の死は決して犬死にでは無かったと、父親としてやれることはとことんやり切って天国へと旅立ったのだと言えるのではないでしょうか。
モーツァルトが最後に作曲したジュピターは交響曲41番。輝宗様が政宗様に家督を継がせ、自分が隠居したのがちょうど41歳の時。これは偶然の一致?
※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。