斎藤幸平教授著”人新生の資本論”は「SDGsは現代のアヘンである」という衝撃的な指摘で始まり、「SDGsだけを追求するだけでやってる気になって、資本主義をそのままにしていても大丈夫なのか?」という問い掛けがなされたのだが、私の中ではモヤモヤが持病の様に体の一部に棲みついてスッキリしなくなった。そしてその後の著書「ゼロからの資本論」を読んだ時の印象もブログに書いた。

 

 

斎藤教授が指摘するのは、資本主義によって人々の富(コモンと呼ぶ)が失われた影響は甚大で、地球環境の問題も資本主義が原因であり、今こそコモンを取り戻す社会システムを構築する時だという。そしてその解決の糸口は自治にあり、その為には市民一人一人の自治への意識が鍵となるのだが、如何にもハードルが高そうな気がしていた処、その辺りを掘り下げた本”コモンの「自治」諭”が出版され、此れも読んでみた。

 

本は日本の自治の現状に関して数人の識者が共同で執筆し、現状の厳しさ(バッドニュース)と光明(グッドニュース)の両方が解説されている。

 

バッドニュースは、政治学者の白井聡氏の指摘だが、幾つかのポイントを意訳して書き出してみる(紫文字)

大学での自治を顧みると、大学側は1960年代の学園紛争の悪夢を繰り返さない為、火種となりそうな一般学生と共産党を抑え込む必要があり、カルト的な原理研究会(統一教会の学園サークル)を容認したり、革マル派を容認したり、日大の様に体育会系を優遇したりした。その結果、政治運動は一般学生の恐怖と嫌悪の対象となり、一般学生は政治運動から総撤退してしまった。

 

こうして日本は自治の能力を育む機会を失ってしまい、今や自分達で世の中を変えて行こうという気概のある人はとても少なくなっている。例えば安倍政権時代のスキャンダル「森友・加計学園問題(末尾に関連サイトを添付)」に付いて、政治学の教授がゼミ学生と議論した際に、7割程を占める意見は「そもそも総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのかな」という趣旨で安倍政権を肯定し、政権に批判的な学生に対しては「空気を読めていない・かき乱しているのが驚き、不愉快」とまで言い放った。


今や大学は産業界の意向を受け入れ、他大学と競争しながら予算獲得に走る為、学生の評価基準が「資本の役に立つ機関・人間になる事」になってしまっている。

 

等々現状の厳しさを訴える内容で、自治の難しさを突き付けられた感じなのだが、こういう事態を招いたのは日本社会全体の責任であり、私達一人一人が胸に手を当てて考えなくてはいけないのだろう。

私の記憶では、50~60年前は学生運動が盛んで、私の高校時代(1968年~70年)も学校で部落問題が持ち上がり、部落解放同盟が学校に押しかけたりして1年間授業が無くなり、教室で教師を交えて議論した事を思い出す。然しその後は連合赤軍のあさま山荘事件を始めとする過激派の動きへの嫌悪感もあり、学生運動的な事からは距離を置いた生き方をして来た。大学時代は原理研究会がキャンパス内で自由に学生に勧誘をしていたし、私も一度合宿に参加した事がある。なので白井聡氏の指摘は腑に落ちるし、自分も日本社会の責任の一端を負っているのだと認識させられる。

 

長くなったので、グッドニュースの方は次回。