前回のブログでは、温暖化対策の最適解は人類が未だ答えを知らない事、そして答えに至るにはロナルドハイフェッツ教授の教える真のリーダーシップが必須である事、但しその為には冷静な分析と共に、大多数の人が謙虚さを以てリーダーシップを発揮する事、即ち個々人の価値観を理解しつつ問い掛ける事が必須なのだが、一体どうやって実行するのか、という途方に暮れる課題に至った処で終わった。今回はその続きを考えてみる。

 

262の法則の重さ:

前々回のブログで触れた262の法則を、改めて書き出してみる。

「262の法則」 とは、 人間は集団になると必ず、自分で考えてリードする人(主体的・優秀)・指示に従う人(受動的・凡庸)・従わない人(不満分子)に分かれ、その比率が2:6:2になるという様な考え方 。不満分子2を除外しても残った人の2割が新たな不満分子として現れるし、逆に優秀な2を除外しても残った人から新たに優秀な2割が現れる。主体的で優秀な人ばかりを10集めても、その内6は受動的になり、2は不満分子になる。逆に不満分子ばかりを10集めても、その内2は主体的にリードする人になり、6は受動的に従う様になる。人は相手との間合いを見切って、無意識に自分の振る舞いを決める本能があり、集団で生きるしかない人類は、賢者が集団の一部にしかなりえない宿命を負っている様である。

 

この法則の原理が変わらないとすると、大多数の人が主体的にリーダーシップを発揮する事は奇跡のレベルに見えてしまう。

そして実行に際してもう一つのハードルが、リーダーシップの大前提となる冷静な分析の処にもある。

 

SDGsは「大衆のアヘン」である! の衝撃

2021年に斎藤幸平教授が発刊した「人新生の資本論」は、SDGsを推進する事が持続可能な世界を造る必須条件であると信じていた人に、ガツンと強い衝撃を与えた。SD爺と称して知人にSDGsの重要性を触れ回って居た私もその一人である。

私の理解では、斎藤幸平氏の主張は凡そ次の様な事だ。

①   現代は人類の経済活動が地球環境を破壊する「人新生」に入って居り、環境破壊阻止は人類の最重要課題である。

②   資本主義に依る先進国の豊かさは途上国からの収奪を基にして居り、先進国の人達の価値観を変えない限り、世界の民が平等に豊かになる事はない。

③   資本主義の大前提である際限の無い利潤追求(成長)を指向する限り、エネルギー消費は増加し続けるので、温暖化抑制の為には資本主義を止めるしかない。

④   SDGsは自己満足である。即ちSDGsを推進しても、②③の問題を解決しない限り、目指すゴールは逃げ水の様に遠ざかる。

⑤   目指す姿は、マルクスがその晩年に主張した所謂共産主義とは一線を画すコモンという共同体。それを指向する先駆的取り組みは、スペインのバルセロナ等で見られる、生きて行く上での重要な物事を地域住民主体で決めて行くフィアレスシティ。

 

読んだ時は冷静な現状分析と、あるべき姿を提示する日本の若者が居た事に、驚くと共に感服した。じっくり考えると、本能と理性がせめぎあうヒトの世界で、フィアレスシティの集合体の様な物に、果たして到達し得るのか、またアニマルスピリットを原動力にして経済成長する事が当たり前の事として育った私からすると、モヤモヤは残りつつも、さりとて代案がある訳でもなく、ジレンマから抜け出せないのが現状。何れにせよ「SD爺さん」では斎藤幸平さんから叱られそうだが、数年間知人にこれで通してきたので当面改名は保留中。

 

日経もNHKも答えを出せない現状:

日経新聞では「人新生の資本論」を紹介する事はあっても、その論拠を真正面から取り上げて整理したり議論したりする様な記事は目にした事が無い。皮肉っぽく言えば、資本主義経済を飯のタネにしている新聞が資本主義を否定するのは自己否定に繋がる感じもするし、厄介な議論には違いなさそうだ。

前回ブログで触れたNHKの番組「1.5度Cの約束 脱炭素社会どう実現」でも、資本主義を否定する議論には踏み込まなかったが、この論点を持ち出すと現実派・理想派の平行線の議論が更に収拾付かなくなるので、避けるしか無かったのだろうと思う。

 

ジャック・アタリの「利他主義は最も合理的な利己主義」:

つらつら考え始めると、先が見えない袋小路に入った気分にもなるが、希望は捨てずに生きたいものである。そんな時に思い出したのは、フランスのジャックアタリ氏の提唱する「利他主義は最も合理的な利己主義」の概念。ちょっと聞くと、道徳の授業じゃあるまいし・・・と思ってしまうが、ヒトの色々な行動を見ると単純な損得で考えても、それは当たっているかも知れない様にも思える。もしそうなら、262の法則の呪縛からの解放もある得るのでは。

 

ちょっと夢物語の話になるかも知れないが、また次回。