日本の雷など安全災害対策と宗教 | 某社員?

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私的な考え

どーも。


朝4時起き、仕事、疲れて帰って風呂に入って即寝る。

某社員?でございます。


今回は、雷対策と宗教について書きたいと思います。


日本の安全対策への考え方のベースには、独特の「輪廻転生」というものがあります。


ちなみに輪廻転生とは、死んであの世に還った霊魂 )が、この世 に何度も生まれ変わってくることを言います。


でもそれって本当なの?

科学的根拠はあるの?
もし、生まれ変わることができなかったらあなたどうするの?

本音、死にたくはないでしょう?


というのが、日本での全ての「安全対策」の進め方になります。

これは厄介なことです。


ちなみに

キリスト教、回教ともに「輪廻転生」はなく、「生」は一度のみです。


生を支配できる、許されている者は「唯一の神」であるキリスト、アラーのみで、キリスト、アラーの意向に背いて生を奪う者は「全て神敵」、

つまり悪魔であり、これを打倒するのは人の務めであり、それは神の御心に沿うものであるというのが、キリスト教、回教国での大衆の考え方の根本。


だから雷は仏教国以外ではほとんど「悪神」で、

「共生」という考え方は存在しません。

雷は悪魔なのです。


海外で雷検知器が生まれたのも、この雷というアクマがやってきたことを事前に知り、教会でアクマが去るよう祈りを捧げるために開発されたのがルーツです。


ですから、雷対策に対する人々の考え方や法律や資格もキッチリ整備されております。


ちなみに竜巻も「悪神」の悪魔です。


食事の前、日本では「いただきます」といいますが、これは「あなたの命を私の命に代えさせていただきます。」が縮まった言葉で、根底には「どうぞ無事に生まれ変わって下さい。」の意味があります。


対してキリスト教、回教国では、食事の前に「懺悔の祈り」を捧げます。

「神様、私は御心に背き別の命を奪いました。しかしそれをお許し下さり、私を生かすために別の
命をお与え下さいましたことに感謝致します。」なのです。


もう全く意味が違います。


ほかにもどっさりあって、いちいち挙げていたらきりがないのですが、基本は同じです。


その中でも特に端的に考え方の違いが表れているのが「死刑制度」です。


日本の場合には、「被害者遺族感情」がよく言われます。


これは結局、「一度死に、仏の裁きを受け、真人間になって生まれ変わってこい」という考え方です。


つまり、
「処罰は輪廻転生に任せよう」というものであり、「特別に恨みを晴らす」という目的がない限り、

死刑執行の方法も昔から、斬首か銃殺、絞首刑で、それほど残虐なものはありませんでした。


しかし「処罰は仏に任せる」という考え方がある以上、

死刑制度の廃止は今後もまずないだろうと言われております。


対してキリスト教国、回教国では今日、大きく二つの考え方によって、死刑制度の廃止か存続かが分かれています。

いずれも「生は一度だけ」から発生している考え方です。


① 死刑制度廃止国
  人の生を司ることのできる者は神のみ。よっていかなる極悪人でもその生を人が奪うことはできない。

② 死刑制度存続国
  神にしか司ることのできない人の生を勝手に奪うことは何ものにも勝る極悪であり、「神敵」である。

  よってその生を奪うのは「神の子の当然の責務」である。


①は今日、キリスト教国で支配的、②は回教国で支配的ですが、過去、どちらの国でも②の考え方が支配的で、死刑執行の方法は残虐なものだったわけです。

今でも②の考え方で死刑を存続させている国では、「苦しませて殺す」で、絞首刑なんて楽な処刑はなく、アラブ首長国連邦ではクレーンで吊り上げてさらし者にし、数日かけてじわじわと衰弱死させる、イランでは鞭打ちで衰弱させた後、絞首か銃殺、米国では州単位で死刑存続、死刑廃止と分かれていますが、存続させているところではガス室、薬殺、電気椅子と、どれもしっかり苦しませるやりかたです。


そして、死刑制度廃止国の場合、その代わりに「終身刑」が導入されているわけですが、当然、②の考え方、つまり「神敵」はあり、日本のように「無期懲役=期限を定めない懲役=30年~50年の服役後、釈放される。」はなく、絶対に出所させません。


さらにほとんどの場合でかなりの労役を課し、概ね10~20年で「獄死」させるシステムを構築しています。

つまり死刑廃止といっても、実際には「間接的な死刑」であり、死刑を廃止して労役を課し「獄死」させることがより「神の子の当然の責務」を果たすことになる。

つまりは「合理的である」という大衆の意識が意識が高まっており、今後、現在の死刑存続国もこちらに移行するであろうと言われています。


この前米国で、保険金目当ての放火殺人事件の裁判があり、有罪=「終身刑」の判決を受けた被告が服毒自殺しましたが、結局のところこれは、死刑よりもつらい「終身刑」に処せられたくないということだったわけです。

また、米国ではつらい終身刑を嫌い、死刑存続州での裁判と処刑を望む被告が多く、それを認めるか否かの変な裁判もよくされています。


「生は一度だけ」なので、とにかく「人権」に対する考え方がシビア、雷対策も当然、充実するわけです。