どーも。
質問が来たので、書いておきます。
1995年1月17日に発生した1995年兵庫県南部地震によって引き起こされた阪神・淡路大震災は、一般向け防災・非常用電源の必要性とそのあるべき姿を明らかにしました。
研究者による詳細な被害実態調査結果を受け「必須三仕様」が見出されるまでにさほどの時間はかかりませんでしたが、それは当時、まだ一般向けとしてはコスト的に実現の難しい電源の将来的な技術的進歩を見越しての結論であったこと、また当時の社会的情勢などが災いし、この結論は地元被害者や一部の研究者・技術者などを除いて世に全く認められることなく忘れ去られました。
再び問題となったのは2011年3月11日に発生した2011年東北地方太平洋沖地震によって引き起こされた東日本大震災でした。
1995年兵庫県南部地震より16年、その間の電源技術の進歩は既に家庭用電源にも「必須三仕様」以上に優れたものを可能としていましたが、忘却とは恐ろしいもので、全くと言っていいほど一般向けにそのような電源システムは登場・普及しておらず、同じ過ちを繰り返すことになってしまいました。
当時のいきさつを知る研究者や技術者は、
ニュースを見聞する度に一様に涙し、臍を噛んだのです。
一般向け防災・非常用電源に求められる「必須三仕様」
① 個別建物に独立常設されていること。自動起動すること。
崩れかかり物が散乱している暗い建物の中で、普段使わない懐中電灯やポータブル発電機などを探し出し、あかりを得ることはおよそ無理。その行為そのものが直接、命に関わることにもなる。電源(発電機や電池)から灯器(電灯)まで配線済みの独立システムとし、自動起動するものであること。
② 日常使うものであること。
法定し、強制してもうっかり忘れるメンテナンス。結果、いざというときに故障していて使えないのでは話にならない。遵法精神論では無理。日常使うものとしてシステムの不具合を使用者が簡単に日常監視でき、メンテナンスが常に自然になされるものであること。
③ 出費のみにならないこと。日常、邪魔にならないこと。
いわゆる出費のみを強いるものは生命護持のためのものであっても日本では一般普及しない。そのため従来、法的強制力すなわち罰則規定をもって防災設備などが整備されてきたわけであるが、元来、全てこれに依るのは好ましいことではない。よって日常使用により得られる電力節約効果などにより、初期投資を効果的に回収することができ、できれば加えて出費相応以上の有形、無形の利益を生むものであること。また日常、邪魔にならないものであること。
これが我々の考えです。