今回は書き方を変えて
人は仮面というものを持っていると私は思う。
つまり、よそゆきの顔という事である。
警察官ならば、警察官らしき顔。
教師ならば教師らしき顔
恋人と一緒にいるならば、
恋人らしき顔といった雰囲気が表面に出ていると思う。
このような仮面をユングは「ペルソナ」と呼んだ。
人が仮面を付ける事は、
実は攻撃でもあり防御でもあると私は思う。
仮面と言うことは、人に攻撃されてもペルソナがダメージを
受けるのであって、本当の自分の心はダメージを受けない。
その考えでいくと、仮面を付けた時の攻撃にも同じ事が言える。
また、セオリー的な人間関係等を維持できる「ペルソナ」を装着すれば、
本当の自分ではないのだけれども、上手くいく可能性は、
自我よりも高まると思う。(本音と建前?)
仮面を被ること
これは、異なる性格を持つ人々と社会生活を営むのにあたり、
必要不可欠な事である。
しかし、楽だからと言って一つの同じペルソナをずっと付けていると、
ペルソナが外れなくなり、本当の自分に戻れなくなるかもしれない。
初期の段階では仮面を付けた自分でも問題ないのかもしれないが、
元々備えていた自我ではないため、段々と精神が持たなくなる。
そして心が崩壊する。
だから私は新たなペルソナを日々作ろうとしているし、
場面によって意識的に仮面を付け替えているよう努力している。
色々な仮面をはめると、
本当の自分も鍛えられている気がする。