先日まで、横浜市美術館で、
印象派「クロード・モネ」の展覧会をやっていましたが、
ご覧になったでしょうか?
モネ作品は、日本の美術館にも数多く所蔵されており、
特に上野の国立西洋美術館では、モネの部屋があります。
また、直島のベネッセミュージアム内には、
有名なモネの睡蓮の部屋があります。
この印象派の代表格ともいえるクロード・モネですが、
実は、40代半ばまで、経済的に非常に困窮した状態でした。
しかも妻を亡くす経験をするなど、
精神的にも経済的にも、どん底に落ちていた時期がありました。
しかし、40代半ば以降ようやく絵が売れるようになり、
経済的に充実していきました。
ある意味、突然のように絵が売れ出したのですが、
彼の絵はどのような経緯で評価されて売れていったのでしょうか?
そして、どのような経緯を辿り、歴史に残る画家となっていったのでしょうか?
■マネをマーケティング的に分析すると・・・
実はそのキーワードは、
「先見の明がある画商」
と
「アメリカ」
という2つになります。
マーケティング的な解釈が可能となる二つなのですが、
これは、
「少し先の未来を見据え、次のトレンドになるものを取り扱う」
ということと、
「マーケットと=土俵を変える」
という2つのポイントが、マネを世界的な画家に押し上げた大きな理由となりました。
詳しくは、私のセミナーの中でお伝えする予定なので、そちらにご参加いただくとして(笑)
マネは、絵を描くという好きなことを、
経済的な困窮や、妻の死という悲劇に見舞われながらもコツコツと続け、
人生の後半で運にも恵まれた結果、成功していったのです。
■モネは、現代美術の親?
「つまり、モネは印象派ではなく、あらゆる現代美術の生みの親ではないのか」
(アンドレ・マッソン1975年)
これは、横浜美術館で行われた展覧会の中で、
モネを語ったアンドレマッソンの言葉です。
シュルレアリズムの画家でもあるアンドレ・マッソン。
1975年になって、改めてモネの作品が与えた影響を鑑みて、
マッソンはこのような言葉を残しました。
私もモネの晩年の作品を見ていくと、
マッソンが言っている意味がよくわかってくるような気がします。
自らの過酷な運命を乗り越えながらも、
その後、画家として成功し、
そして、後世には、「あらゆる現代美術の生みの親」とさえ評されるモネは、
とても幸せな人生の終を遂げたのではないでしょうか?
そのようなことを、10月13日のセミナーでは深く分析していきたいと思っています。
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