ロールダウンを研究していて直面したのは、「分裂現象の見せ方のまま、出現現象を行うと伝わりづらい」という問題でした。
やってみるとわかる、分裂現象と出現現象の違い。
この二つは似ているのに、演技に必要な事がかなり異なります。
一体何が違うのか。
マジックの演技では、観客の注目を集める前振りで、現象が起きる瞬間の注目度を上げ、驚きを最大限にする、という流れがあります。
分裂現象の「前振り」は、品物そのものが行ってくれます。手に持った物を示せば、そのまま「さあ、これから何かが起こるよ」という事が伝わります。
出現現象はそうではありません。品物がないので、視線や表情といった、演技者の感情表現で前振りを作る必要があります。説得力のある「演技」が必要なんですね。
本当は手から出してるのに、空中から出現しているように見せたい、というのは、よく考えるとかなり無茶です。
マジックでは非常によくあるシチュエーションなのに、実は相当難易度が高いのです。
それはもう、うっかり下を見るとクラクラするくらい高いのですが、上手な先達の完成された演技だけを見ていると、その高さに気づかないのです。
そう言えば、出現現象とは何ぞや、みたいな事を詳しく論じたものは、あまり読んだ記憶がありません。
ちょっと掘り下げてみましょう。専門家の方には異論や反証の指摘もあるかと思いますが、まあ、叩き台として役に立てば幸いです。
出現する、とは、それは一体……
どこから?
いつ?
どうやって?
「どうやって?」
つまり、ことを起こした原因ですが、その起こった事と起こした原因の間に、因果関係が無いのがマジックです。
たとえば原因が「おまじない」の場合。
おまじないをかけると何かが起きるのですが、この時「おまじない以外には何もしていない」というのが非常に大事です。何もしていなければしていない程、おまじない以外の理由がなくなり、「おまじないに力がある」という、ありえない事への説得力が生まれます。
以下、「どこから」「いつ」についても、同様の事が言えます。目に見えている事は事実ですが、それが観客から見て現実と違うつながりに思えるように「表現」します。
演技者のパワー、怨念、超自然、偶然、精霊、迷信、超越者・・・
古来、不思議を説明するのに使われたものが「どうやって」の理由にそのまま使えるはずなのですが、それでも現代人が受け入れやすい「どうやって」はそんなに種類がない気はします。科学に偏ると理屈っぽくなりますし、かといってテキトーすぎて駄話になってしまっては失敗。
特にマニピュレーションでは、ひと現象にかける時間が少ないため、この「どうやって」は希薄になりがちな所です。
「どこから?」
出現現象だけが、この「どこから?」を問題とします。特有の要素ですね。
マニピュレーションの分野では、手からの出現を他の場所からのように見せる事がほとんどで、手の届く所に限定されるため使う場所もあまり多くありません。空中の他は、ハンカチ、服、体の陰、手に持った品物の陰、くらいでしょうか。
工夫のしづらい所ですが、逆に考えるとまったく新規の開拓の余地はあると思います。
「どこからともなく」というのもよく使われますが、これは「観客が受け入れるのに時間がかかる(慣れが必要)」という特徴があります。前後に長めの間をとったり、繰り返しにするのが好適です。
「いつ?」
事実として行えるのは基本的に「一瞬で現れた」「いつ現れたのかわからない」の二種類だけです。
ただ、それをそのまま行うだけではマジックとしてあまり効果的ではありません。出現した時を実際からずらす必要がありますし、演技でタイミングを「作る」必要があります。
さらに、出現している時間とは何か、を考えることで多彩な表現に行き着く、なかなか奥深い要素です。
ゆっくり出現する、という表現を行う場合。これは観客も「実は最初からそこにあった」のはわかるので、ウソではあるのですが、このウソを楽しめるように演じられれば、エンターティメントとしては成り立ちます。ウソを事実として見せるのがマジックで、ウソのまま見せるのはマジックではなく演劇なのですが、この二つはいろんな比率で混在が可能、という事です。
演劇ではなく視覚的に出現する過程を見せると、他の現象が混じった表現になります。この場合は成長、凝縮、形状操作、出現場所の変化、というような、組み合わせで生じる奇妙な現象が起こります。
扱う物が、流体や粉体の場合、「切れ目なく出続ける」という表現も可能になります。
出現現象は、言ってみればマジックの基本中の基本なのですが、単体で行おうとすると、他の現象に比べても難関がいろいろあります。
「マジック特有のテクニック」だけではなく、意図や感情を表す演技の重要性が高くなります。しかし、観客が好意的に鑑賞してくれるように「自然な演技」を作るのは、それだけで難易度が高いのです。
やってみるとわかる、分裂現象と出現現象の違い。
この二つは似ているのに、演技に必要な事がかなり異なります。
一体何が違うのか。
マジックの演技では、観客の注目を集める前振りで、現象が起きる瞬間の注目度を上げ、驚きを最大限にする、という流れがあります。
分裂現象の「前振り」は、品物そのものが行ってくれます。手に持った物を示せば、そのまま「さあ、これから何かが起こるよ」という事が伝わります。
出現現象はそうではありません。品物がないので、視線や表情といった、演技者の感情表現で前振りを作る必要があります。説得力のある「演技」が必要なんですね。
本当は手から出してるのに、空中から出現しているように見せたい、というのは、よく考えるとかなり無茶です。
マジックでは非常によくあるシチュエーションなのに、実は相当難易度が高いのです。
それはもう、うっかり下を見るとクラクラするくらい高いのですが、上手な先達の完成された演技だけを見ていると、その高さに気づかないのです。
そう言えば、出現現象とは何ぞや、みたいな事を詳しく論じたものは、あまり読んだ記憶がありません。
ちょっと掘り下げてみましょう。専門家の方には異論や反証の指摘もあるかと思いますが、まあ、叩き台として役に立てば幸いです。
出現する、とは、それは一体……
どこから?
いつ?
どうやって?
「どうやって?」
つまり、ことを起こした原因ですが、その起こった事と起こした原因の間に、因果関係が無いのがマジックです。
たとえば原因が「おまじない」の場合。
おまじないをかけると何かが起きるのですが、この時「おまじない以外には何もしていない」というのが非常に大事です。何もしていなければしていない程、おまじない以外の理由がなくなり、「おまじないに力がある」という、ありえない事への説得力が生まれます。
以下、「どこから」「いつ」についても、同様の事が言えます。目に見えている事は事実ですが、それが観客から見て現実と違うつながりに思えるように「表現」します。
演技者のパワー、怨念、超自然、偶然、精霊、迷信、超越者・・・
古来、不思議を説明するのに使われたものが「どうやって」の理由にそのまま使えるはずなのですが、それでも現代人が受け入れやすい「どうやって」はそんなに種類がない気はします。科学に偏ると理屈っぽくなりますし、かといってテキトーすぎて駄話になってしまっては失敗。
特にマニピュレーションでは、ひと現象にかける時間が少ないため、この「どうやって」は希薄になりがちな所です。
「どこから?」
出現現象だけが、この「どこから?」を問題とします。特有の要素ですね。
マニピュレーションの分野では、手からの出現を他の場所からのように見せる事がほとんどで、手の届く所に限定されるため使う場所もあまり多くありません。空中の他は、ハンカチ、服、体の陰、手に持った品物の陰、くらいでしょうか。
工夫のしづらい所ですが、逆に考えるとまったく新規の開拓の余地はあると思います。
「どこからともなく」というのもよく使われますが、これは「観客が受け入れるのに時間がかかる(慣れが必要)」という特徴があります。前後に長めの間をとったり、繰り返しにするのが好適です。
「いつ?」
事実として行えるのは基本的に「一瞬で現れた」「いつ現れたのかわからない」の二種類だけです。
ただ、それをそのまま行うだけではマジックとしてあまり効果的ではありません。出現した時を実際からずらす必要がありますし、演技でタイミングを「作る」必要があります。
さらに、出現している時間とは何か、を考えることで多彩な表現に行き着く、なかなか奥深い要素です。
ゆっくり出現する、という表現を行う場合。これは観客も「実は最初からそこにあった」のはわかるので、ウソではあるのですが、このウソを楽しめるように演じられれば、エンターティメントとしては成り立ちます。ウソを事実として見せるのがマジックで、ウソのまま見せるのはマジックではなく演劇なのですが、この二つはいろんな比率で混在が可能、という事です。
演劇ではなく視覚的に出現する過程を見せると、他の現象が混じった表現になります。この場合は成長、凝縮、形状操作、出現場所の変化、というような、組み合わせで生じる奇妙な現象が起こります。
扱う物が、流体や粉体の場合、「切れ目なく出続ける」という表現も可能になります。
出現現象は、言ってみればマジックの基本中の基本なのですが、単体で行おうとすると、他の現象に比べても難関がいろいろあります。
「マジック特有のテクニック」だけではなく、意図や感情を表す演技の重要性が高くなります。しかし、観客が好意的に鑑賞してくれるように「自然な演技」を作るのは、それだけで難易度が高いのです。