ずいぶん前ですが(笑)、久々に歴史系YouTubeで震えました!

日高見国の考察にも繋がる回です。

真面目に歴史を考察し続ける、大人ノ大学さんから。

 

 

 

話は、常陸国の大甕山から始まります。

この地域にいた、大和朝廷に祀ろわなかった悪神にされてしまっている「天津甕星(アマツミカボシ)・天香香背男(アマノカカセオ)」

大国主の国譲りの際に、最後まで抵抗したので、悪神にされてしまった。

 

 

 

天津甕星が封印された常陸国周辺(東日本全体と言い換えて差し支えないかと)は、大和朝廷以前は、土蜘蛛や蝦夷と呼ばれた存在が住んでいた。

土蜘蛛は蝦夷とは別の存在だとされるのですが、実際は常陸国風土記には「土蜘蛛は山の佐伯、野の佐伯」と記載されているので、蝦夷は佐伯の末裔ですから、同一の存在と解釈できるそうです。

 

余談ですが、佐伯の末裔で有名なのは「空海」。

空海生誕の地とされる四国香川の善通寺。

 

 

 

話を戻します。

彼ら蝦夷・土蜘蛛は、アラハバキを信仰していて、それはエビス信仰にも通じる。

エビス様は海洋民族の信仰の対象。

クジラが豊漁をもたらすので、クジラをエビスに見立てる。

また、エビス神は「常世」の国からやってきて、事代主やスクナヒコナ、ヒルコと習合されて信仰されるようになる。

 

「常世」で思い出すのは、渡来系の秦河勝。

「常世」の神殺しをしたことを、和歌に残しています。

 

 

日本書紀には、秦河勝が読んだとされる以下の和歌があります。
太秦は 神とも神と 聞こえ来る 常世の神を 打ち懲(きた)ますも
秦河勝は「神のなかの神という評判の高い常世の神」をころしている。

 

また脱線した(笑)。戻しますw

 

この教えを常陸にもたらしたのが、登美一族の長髄彦。

ここでは登美氏の末裔が蝦夷とされています。

長髄彦については、書きすぎて(笑)、最新の記事のみを紹介。

 

 

アラハバキ信仰やエビス信仰は「甕(ミカ)」と密接に関係。

甕はウミガメを意味することもあり、竜宮城のある常世とこちらの世界を行き来する存在を意味する。

常世とこちらの世界の境界を守り、守護するのがアラハバキの役割。

「境界に立つ」役割がある。

 

蝦夷の末裔である佐伯氏の名前の由来は、「境界をさえぎるもの」。

大甕山のある「久慈」は、クジラに由来している。

 

大和では天背男が、ニギハヤヒと一緒に来た存在として祀られている。

天背男は尾張氏の祖と言われている。

奈良の葛城山の麓にもエビス信仰があり、エビスの別名事代主の神社は奈良にたくさんあります。

事代主の子孫が長髄彦であるとされている。

登美一族が天津甕星信仰に深く関わっており、神八井耳を始祖とする祭祀王の末裔である多氏(大氏、太氏、意富氏、於保氏などとも表記)がここで登場。

 

 

 

神八井耳は神武の子であり、王にはならずに、「忌人=祭祀王」になった。

(先祖を祀って五行まで返すのが古神道なのですが、先祖を悼むので「忌」なのでしょうか?)

 

大人の大学さんは、多氏の別名表記に、「富」が使われていることに着目。

神武の妃は事代主の末裔。

(当時は女系の系統が重要視されていた)

つまり古代祭祀王の神八井耳は、登美家の出である、と。

多氏はその後、大和、尾張、常陸と移動してゆく。

古事記を編纂した太安万侶も「太」がつくので、多氏の末裔。

多氏が天津甕星信仰を東に持ち込む。

しかし、古代王家の末裔であった多氏は、大和朝廷に従わなかったため、彼らの信仰していた神ごと、多氏も封印されてしまった。

 

動画の内容は以上です。

 

ここからは私の蛇足。

 

天津甕星である大甕は、今は大甕山から移動させて、日立市で祀られている。

これを命令したのが、副将軍徳川光圀。

 

 

光圀公は日本中の歴史を細かく調査していたようで、阿波に古代ユダヤの痕跡があることに気づいていた。

 

 

 

アマツミカボシもアマノカカセオも「アマ」と着くので、大和朝廷以前の日本国の王の名前と一致。

 

 

 

アマツミカボシ・アマノカカセオは、読了したこちらの本の内容にもつながってくる、鳥肌ものの考察回です。

大陸から九州に神武の系統が入ってくる以前の日本で信仰されていたのは、星信仰であり、星信仰をしていた彼らは海人族。

天皇の菩提寺の泉涌寺には祀られていない、天武天皇(壬申の乱を制して即位)の信仰についても書いてある。

 

 

 

以前、日本の本州は東西で別々の島で、のちにフォッサマグナの部分で結合したことを書きました。

 

 

 

故に、昆虫や植生にかなりの違いが見られるのですが、まさかのゲンジボタルの点滅にまで違いが。

 

 

 

とりとめのない感じで、本日はこれにて。