月曜日にちらっと紹介した記事の補足になります。

 

スピ業界から生き霊と怨念が大量に飛んできそうですが、危険であることには変わりはないので、書き留めておきます。

今のスピ業界で主流のスピリチャルを語りたい人には、冷静に冷静にwww、読んでいただきたい回でもあります。

知らずにカルトの片棒を担がないように、社会の大多数のスピリチャルに興味がない人から反感をかわないためにも、知っておいて損はなし。

 

 

 

まず「コンスピリチャリティ」とは。

 

 

コンスピリチュアリティ: conspirituality)は、ニューエイジなどのスピリチュアル陰謀論が融合したものを指す用語である[1][2]。コンスピリチュアリティは、陰謀論(コンスピラシー・セオリー、conspiracy theory)とスピリチュアリティ(spirituality)を組み合わせたかばん語である[1][2]。現代のコンスピリチュアリティは、1990年代に広まった[3]。コンスピリチュアリティは、極右の陰謀論であるQアノンや、新型コロナウイルス感染症に関する陰謀論と関連している[1][2][4]

 

今の日本のスピリチャルは、本来のスピリチャルよりも、かなりニューエイジ・ニューソート寄りです。

というかニューエイジとニューソートの要素をベースに、スピリチャルの都合のいい部分をとりこんでいるのが、今の日本のスピリチャルのメインストリームです。
その証拠に、スピリチャルでおなじみの「ライトワーカー」や「インディゴチルドレン」といった単語は、起源はニューエイジにあります。

 

「ライトワーカー」や「インディゴ・チルドレン」などのニューエイジのコミュニティでは、アメリカ同時多発テロ事件陰謀説が広まった[9]

 

日本で主流のスピリチャルはアメリカからの輸入ものがほとんどです。

そこにスピリチャルに相性の良い神道や仏教の部分をつまみ上げ、日本の新興宗教である大本教等の終末的予言要素を加え、コミットさせて説得力を増すためにコーチングの技術を足し、量子力学を都合よく解釈した現実創造メソッドを混ぜ合わせると、日本の現代スピリチャルになるのです。

 

ニューエイジ・ニューソートとは何なのかも見てみましょう。

 

 

一般的に、19世紀心霊主義ニューソート神智学の伝統から派生したもの[5]、グノーシス主義、ロマン主義、神智学が現代的に再編されたものであるとみなされている[1]。内側からやってくる「スピリチュアルな真実」があると信じそれを称賛するという点において、新しいタイプの神秘主義であり、自分自身がになるという自己啓発の神秘主義といえる[1]。ニューエイジ(とその系譜の「スピリチュアル」でも)「自分を知ること」「自分らしく生きること」に至上の価値が置かれている[6]

 

 

当時、禁欲・宿命論を説くカルヴァン主義が盛り上がっており(第三次大覚醒)、ニューソートはこれに対する反発として生まれた。19世紀後半のアメリカは、工業化の進展により「金ぴか時代」と呼ばれる好景気が到来し、一方カルヴァン主義的禁欲主義は、金ぴか時代の拝金主義を激しく批判していた[7]。スウェデンボルグの思想は、カルヴァン主義的禁欲主義へのアンチテーゼとして支持を集めるようになり、これがニューソートへと拡大・発展していった[8]。また、依然として問題の多かった正統医学への拒否反応も背景にあると言われる[6]

 

どちらもメインストリームであるキリスト教への抵抗勢力であり、新興宗教的であり、カルトに繋がる要素を多分に含んでいます。

なので現在主流のスピリチャルは、一歩間違えると簡単にカルトになる。

コンスピリチャルのWikiから、日本の代表的コンスピリチャル団体を引用します。

 

 

天才苫米地博士のこちらの書。

SNSが身近になりスピリチャルを語る人が増えたのですが、その危険性に言及した画期的な本です。

 

 
 
この書の内容を語っているのがこちらの四年前の動画。
暴論のように聞こえる部分と、なるほどと納得できる部分が混在していますが、全体的には筋が通ってます。
最後まで聞かないと、苫米地博士の一番言いたいことが正しく伝わらないので、最後までご視聴ください。

 

 

主旨をまとめてみます。
信教の自由と、電波法の縛りにより、テレビ番組で宗教的メッセージ(スピリチャルも十分に宗教の要素を満たしています)を送ることは法に反する。
博士が一番スピリチャルで問題だと思っているのは、スピリチャルは差別主義であるということ。
そして民主主義(多数の人との合意)から逸脱している。
釈迦やキリストは魂に階級はないと言っているが、スピリチャルには魂に階級があるという(波動が高い・低いもこれに当たります)。
釈迦は絶対的差別主義である人間の階級制度カーストを否定したが、スピリチャルは魂の階級を肯定している。
つまりスピリチャルは絶対的差別主義である。
スピリチャルは現世利益をうたう部分もありながら、利益を享受できない場合はは本人の責任にされてしまうが、それは詐欺である。
オウム事件が風化し始めた現在、スピリチャルが復権してきているが、それはとても危険な兆候で、次のオウム(超能力を求める個人・団体と教祖)を生む土壌になりえる。
スピリチャルの3要素とは、1. 魂の永遠性、2. 輪廻転生、3. 魂のステージの上昇(アセンション)。
魂の永遠性と転生は、量子力学的には否定されているし、釈迦もアートマン(真我)を否定している。
この3要素を満たすと、100%カルトが生まれる。
 
聞いていて反論したい部分もありましたが、以上です。
カルト判定の要素としては、教祖の言動に対して、信者が全く疑問を持たないし、論証をしようともしない、という4つ目の条件を加えたいですね。

苫米地博士の話の中にジュリアン・ジェンズが出てきて、ちょっと感動。

 

 

 

 

 

今のアセンション等をうたうスピリチャル業界で、私が最も危惧しているのは、その思想のベースが選民思想であるということ。
選民思想、すなわち分離意識です。
ワンネスに戻る統合意識、つまりバーゼル・ミッションとは真逆。

波動が高い人ば新しい夢のような地球に移行して人生最高のストーリーを生きることができるが、波動が低い人は古い地球に残って古い地球と一緒に阿鼻叫喚のまま地球が終わり、来世も同じような人生からスタートとか。

その人の波動の高低によって生き死にが決まるので、見方によっては優生思想どまんなかでもある。

この考えがそもそも分離であり、統合の真逆であると、これを唱えている教祖様もお気づきでないwwwww

波動が高い・低い、新しい地球・古い地球、次元上昇する・しない、最高の人生・普通の人生等々、思考のベースが既に二元論であり、二元論を採用している段階で永遠にいわゆる「次元上昇」はできなさそうなのは、皆様もお分かりかと思います。

 

 

これまでのアセンションについての記事はこちら。

定期的に疑問が湧いてきてしまうwww

 

 

 

 

 

 

 

スピリチャルに興味がない普通の人にとっては、「なんのこっちゃ???それってカルト?」なのですよ。

キリスト教も仏教も選民思想は謳っていないので、いまのアセンション・スピリチャルが新興カルトだと言われても、私は不思議には思いません。

 

 

選民思想といえばユダヤ教が起源ですが、やはり一神教共産&社会主義に相通じる思想なのです。

おそらくアセンション・スピリチャルとタルムードのユダヤ教の元々の出どころは一緒で中東に起源があるはず。

スピリチャルとうジャンルはCIAによって作られたとも言われていますので。

私の中の結論は、今まで点で存在していた推測が線でつながり、一つに集約しつつあります。

今回の中東戦争で、アメリカはアシュケナージ・イスラエルを助けない。

戦争が始まれば、小国イスラエルは負けて消滅します。。。

そして国を再び無くした彼らの引越し先は、、、神戸・淡路島を中心とした西日本。

 

 

 

「アセンションできない人」という切り捨てが発生するよりは、「一粒残らず、とりこぼしなく」の方が、物理の法則には合っている。

陰陽セットで量子の最小単位も成り立っていますので、陰だけを切り離すことは、量子的に見ても不可能です。

 

 

必要なのは、自分と相反する自分以外の外側の要素も、自分を成り立たせるために、ひいては社会を成り立たせるために物理の法則で必要なのだと理解できることだと思うのです。

これは全体性を理解することでもある。

取りこぼして出来上がるのは、不完全な新しいものでしかない。

そしてそれは今までよりももっと酷い社会のはずです。

 

 

「とりこぼさない」アセンションを語っているサアラ さん。

サアラ さんも括りはスピリチャルなのですが、スピリチャルの3要素(特に転生とアセンションに関して)は否定というか、少し違った見解でした。

他のスピリチャリストはふわっと(後で詰められないための防御もあるのでしょうが)しか定義されていない、意識の次元段階。

日本レイキ協会の辻さんは、全体を包含した、誰も切り捨てない視点で分かりやすく定義されていて、非常に好感が持てました。

スピリチャルでは「波動が低い」とされてしまう人たちにしか果たせない物質的現実化についても語っておられ、全体性を包含した説明を論理的にできる、数少ない方です。

この理論は差別主義的ではないので、カルト化しづらいですね。

 

 

 

フワスピ・切り捨てアセンションを信じる人々は、なぜだかどこまで行っても「私は波動が高い」と思い込んでいる上から目線で、「波動が低い」と定義されてしまう人たちが地道に社会で果たしている役割を見下しがちです。

でも彼らが享受している物質的豊かさは、「波動が低い」とされている人が、日夜労働して提供されているものでもあります。

地道に社会で役割を果たしている人たちが大多数だから社会が問題なく動いているのであり、「スピリチャルな仕事は社会が平和に健全に回ってこそ需要がある仕事である」という大前提を忘れている。

 

 

最後に自分への戒めも込めて、こちらの書を紹介。

 

 

スピリチャルを語っても、大多数の一般人目線と一般人的常識・良心・罪悪感、普通に働いてくれている人への感謝を捨ててしまったら、それはもはやカルトであるということ。

普通の人目線の共感覚を捨ててしまったら、お終いだということです。

 

 

これを読んで、カチンと頭にきたそこのあなた!!!

お願いだから生き霊飛ばさんといて〜

悪霊退散!!!

スピ界で主流のぱっかーんして手放しをよろしくお願いしますw!!!

この記事を参考にして、誰も切り捨てない本物の教えの端緒になるなら、私にとって望外の喜びです。

本日はこれにて。