シリーズを連投して、金曜日で完結せたい波流風です(笑)。

 

前回のシリーズ。

 

 

 

 

 

私の中では「龍=水・プラズマ」なのですが、これが妥当なのかを本日は検証します。

龍は想像上の動物と言われていますが、龍の絵はお寺などに行くと沢山あります。

自分も見たことはないくせに彫っていた(笑)。

 

 

 

見えていないのに想像であそこまで詳細に書くことは不可能と思いますので、見える人には見えるのでしょう。

幽霊・宇宙人が見える人は、赤外線領域も視神経で捉えられるので、そういった人には龍は見えるのだと思います。
幽霊が赤外線カメラに映るのは、赤外線領域にいる存在だから。
龍がはっきりとカメラに映ったという話は聞かないので、カメラが捉えられる領域のさらに外に存在しているのではと思います。
 
脱線するけど、人の視覚がいかにいい加減かを感じるサイトがありました。
静止画なのに動いて見える不思議。
 

若手の超おすすめの龍の彫刻家もついでに紹介。

倶利伽羅龍王がステキ。

 

 

 

本日はこちらの書を参考にします。

 

 

 

ニュージーランドのワイタハ族の長老へのインタビューで構成されている本です。

長老はこんな感じの人です。

TOLAND VLOGさんから。

 

 

世界長老会議の常連なのですが、昨年秋分の日に東京で行われた部族会議では来日されてなく、お会いできませんでした。。。

 

 

 

ワイタハ族は銀龍の末裔を自称しているので、彼らの龍に関する概念をざっくりと紹介。

シリウスとかプレアデスを絡めてしまうと、次の回の内容になってしまうので、宇宙の星々は絡めずに話の範囲を今回は地球に限定します。

 

 

ワイタハの祖先の最初の龍は「ロンゴマラエロア」という平和の女神の銀龍。

彼女は地球に初めて雨を降らせた女神であり、ワイタハは平和と水を守る人々である。

彼らは、体内の水が穏やかであれば、平和で良い状態であるとみなし、体内の水を穏やかな状態に保つことを意識して生活している。

彼らによれば、龍は魔法を使え、物を作り出したり変化させることができ、自身の性を変えることもできる。

 

ワイタハの民は、水のように人生で起こる流れに身を任せ、水のように考える。

水のような在り方こそ最強である。

ワイタハのワイはマオリ語で水を意味し、タハは容器を意味する。

ワイタハの人は容器であり、その容器に入る水が龍である。

脳内の水は生きた記憶であり、水は見たものを記憶する。

 

 

ワイタハ族も「水=龍」と認識しているのが伺えます。

私たちの身体も70%は水なので、その意味では人類は誰でも龍であると言えると思うのですが。

 

「水=龍」であるなら、水は有機生命体であることを証明したいところです。

水に関しては、現在怒涛の勢いで研究が進んでいます。

 

 

 

サアラさんの動画。

水には知性があり、水が宇宙の森羅万象を全て計算していて、水こそが内なる神である。

水の作用により我々も意識活動ができる。

水がAIの基本になってゆく。

 

 

水の記憶(第四相の水)が宇宙の共有財産の記憶であると。

 

 

 
水に知性があることはおぼろげながら理解しました。
知性があるということは、生命体とみなしていいのではないでしょうか?
 
「龍=水」はわかりましたが、神話に出てくる蛇の神様との関係がイマイチ不明です。

龍族と中国の神話に出てくる伏犧と女媧がつながればいいのですが。

 

 

水と音(共鳴振動)がわかれば、この世の創造原理もわかるというもの。

 

 

 

なので最近は共鳴振動や倍音を勉強し始めました(笑)。

テーマがどんどん増えてゆく(涙)。

 

 

とりとめがないですが、本日はこれにて(汗)。

次回は宇宙編です。