昨日でほぼ社畜は完了!
やりきったぜ!!!
今日から通常運転だわ(嬉)。ほっこり。
ここ三週間くらい仕事も忙しく、風邪をひいていたのもあったのですが、気力とエネルギーが落ちてましたね。
ブログを書くぞ!という気も起きず。。。
人間落ちるときはしっかり落としておかないと、上がる時に突き抜けられないので、「落ち時」と割り切って、しっかり休養をとりました。
思い起こせば、昨年の5月GWに「隠された歴史シリーズ」で長髄彦を書いた時以来の長めの休養でした。
その間突っ走りっぱなしだったので、そりゃ落ちるわ。
では本題に。
今日は尾道編です。
今までの記事。
秋の調査旅行の最終日は尾道でした。
新幹線に乗るまでの暇つぶしくらいに思っていましたが、無知ゆえに完全になめくさってました(反省)。
尾道といえば、私の中では小津安二郎の『東京物語』。
アマプラでただで観れる日本映画の名作中の名作。
伝説の女優、原節子さんが観れます。
お父さん役の笠智衆、お母さん役の東山千栄子も素晴らしかった。
尾道で見る『東京物語』は格別でしたね。
深夜放送で学生の頃見た時以来2回目の視聴でしたが、今見てもやはり名作です。
現代の私たちが話している日本語と、映画の中で俳優たちが話している日本語は、全然違う響きです。
響きが穏やかで優しく美しい。
自分が出している日本語の音が美しくないなぁと、ちょっと反省しました。
そんな尾道の代表的な風景。
昔はもっとお寺があり寺町といった風情で、お金持ちが功徳のためにこぞってお寺を建てた歴史があります。
広島市の次に栄えていた街なのだとか。
風景が、日本の地中海だと思いました。海の色とかが正に地中海です。
快晴だったので、美しい写真が撮れました。
尾道らしい風景といえばこれ。
夜の港町。満月の前日だったで、月がものすごく明るかったです。
尾道はアーケード街があるのですが、なかなか面白かったです。
ただし夜は早く閉まってしまう店が多いらしく、お店の閉店時間を調べて行ってください。
そのアーケード街を通ると、千光寺行きのロープウェイがあります。
ロープウェイに乗って頂上に着くと、上のような尾道全体の風景が見られます。
尾道ラーメンと鯛めしを食べながら酒を飲む予定だったので(笑)、「文学のこみち」をとっとと下山し始めたのですが。。。
いきなり現れた巨石。
「ん?!なんなんだ、ここは?!!」
と思ってさらに巨石を撮影しながら下山してゆくと千光寺が現れました。
巨石に圧倒されていて、お寺の写真を撮るのを忘れました。。。(汗)
本堂に行ってみて、ここが空海が開いた真言宗のお寺だと判明。
空海は遣唐使から帰国後、宮島の弥山で修行をしていたので、当然尾道も来ていたはず。
辻褄は合うなと思いました。
そして、「空海は西日本に残るレムリアの遺跡にフラグ(寺)を立てて後世に残した」が確信に至ったわけです。
今は巨石の周りに建物が沢山建ってしまっていて、街からは巨石は見えなくなってしまっていますが、この建物がなかったら、かなり異彩を放っていたはずです。
現在はさらに木が生い茂っているので、全貌を見ることは叶いませんが、昔の写真がありました。
HPから写真を拝借しますが、建物の上に見える頂上が、崩れてしまっていますが全体的に巨石でできている。
空海の時代は、更に木が少なく、山全体がピラミッドとして見えていたのかもしれませんね。
途中の巨石もなかなかだったのですが、紙面の都合上割愛。。。
本堂横に石仏がある。
本堂横には、巨石を横に繋げたような岩が。
自然の岩を横に削ったのか、地層の専門家ではないのでよく分かりませんが。。。
下の横線がほぼ直線なので、人工的なものだと思うのです。
鏡岩もありましたが、後世の縄文時代に付け足されたのではと思います。
更にはっきりと横組みで積み上げた跡が。
地殻変動で崩れる前の当時の姿を比較的残していると思われます。
弥山にも共通する、平たい巨石を何枚も積み上げるスタイルです。
九州に残るドルメンとは、大きさもスタイルも桁違いなので、別の文明だと考えた方が辻褄が合う。
上から見てみたくなったので、鎖場も登ってきました。
6月に登った石鎚山の鎖場を模している。
登るのに五分かからなかったです。
ちょっとしたアスレチックでした。
昔は修験の山として利用されていたようです。
再度HPから拝借。
愛媛の石鎚山と同じ鎖を使用してますね。
流石にここを一般に開放すると危険なので、ここは開放されていませんでしたが。
それにしても、この石組み。。。
頂上の巨石の全体像を裏から撮影。
自然の山に巨石を積み上げてピラミッド状にしたと思われます。
地中海のような海と巨石のベストショット。
千光寺山を横から撮影。
樹木を全て伐採したら、一体どんな姿なのか、興味が湧きます。
いかがでしたでしょうか?
尾道が歴史的に繁栄した裏側には、先史巨石文明のピラミッドが目印としてあったから、というのが私の仮説です。
広島を電車で移動していて感じたのですが、神戸までの瀬戸内海に面している低山は、古代ピラミッドが多いのではないかと感じました。
今は木が茂っていて、普通の低山にしか見えないのですが、形が明らかにピラミッド型の山を、車窓からいくつも発見しました。
広島はのうがピラミッドもそうなのですが、神戸よりも先史文明の痕跡が色濃く感じましたね。
尾道は大変気に入ってお気に入りの街になったので、再度訪問したいです。
海産物と白ワインが大変美味しゅうございました。
港にある倉庫を改修したレストランです。オススメです。
尾道からは、土日は仙酔島への観光船が出ています。
ガイドのお姉さんが瀬戸内の歴史を語ってくれるので、こちらもお勧めします。
常石造船の話が熱かったわ。
今回の記事で、鞆の浦、仙酔島も書いてしまおうと思ったのですが、長くなるのでまた次回。