10月に受けた今年のある意味総決算、ゆにわ(神社チャンネルの羽賀ヒカルくんのところ)さんの「最澄と空海の半年間講座」の総決算、高野山奥義編。
そこで聞いたのは、京都の上賀茂神社(本当の神社の名前は賀茂別雷神社。上賀茂神社は敬称。)の賀茂別雷尊がこれからは大変重要とのことでした。
せっかくご縁ができたので、先週参拝させていただきました。
今は徳川家に関する特別拝観をやっており、伊勢神宮で言うところの御垣内参拝のようなことが、お金を払えば誰でもできる時期になってましたので、そちらの特別参拝をしてきました。
お祓いを受けて、神域に入る。
もちろん写真撮影は厳禁。
上賀茂神社のご神体は神山。
今となっては弥生以降の「ミカドのお仕事=しきたりとしての神事」の手順や作法の塊になってますが、当時は山を神と見立てた縄文の祭祀に則ったシンプルな作法でした。
神=自然なので、作法は本来シンプルでいいのですが、権力者の箔付けのために無駄に色々足されたのが現在の神事なのでしょう。
特別参拝ももちろん素晴らしかったのですが、徳川家の秘宝のパートで、なんと孝明天皇が1863年に攘夷祈願で上賀茂神社に行幸に行く絵が飾られていたのです。
同行者は時の将軍家茂、そして次期将軍一橋慶喜、そして藤原五摂家で当時関白だった鷹司輔煕。
鷹司家は実は東山天皇の系列。
東山天皇と言えば先の大元帥大法でも、説明の時に名前が出てきた護国の想いの強い方。
五摂家のトップの近衛家に文句を言われている東山天皇。
五摂家といえば、一条家(小京都中村)は土佐藩を使って倒幕を企んだ形跡がありますし。
五摂家より一段格下ですが、清華家の三条実美も倒幕に絡んでます。
西園寺も清華家。
五摂家と言えば藤原北家の末裔だそうですが、藤原北家こそが怨霊製造マシーンだったのですが(笑)。
その辺は阿吽の漫画にも。。。
話が飛びました。戻します。
今となっては、天皇家=上賀茂・下鴨神社のイメージが湧かないと思うのですが、少なくとも江戸時代までは天皇家が一番頼りにしていた神社は両賀茂神社。
明治神宮とか伊勢神宮は、明治維新の後の国家神道成立でトップに祭り上げられたのです。
(それを言ったら橿原神宮も国家神道に利用された神社であります。)
雷を別けるほどの力がある勝負の神様だったので、攘夷祈願をしに行ったのです。
その上賀茂・下鴨神社の元宮が、奈良の御所市にある高鴨神社なのはご存知でしょうか?
こちらも今週訪れてきました。
他にも高天彦神社や一言主神社も行きましたが、高鴨神社が一番パワーがありました。
紅葉の名所でもあります。
販売されていた高鴨神社の由来をそのまま引用します。
「高鴨神社は全国加茂(鴨・賀茂)社の元宮であり、当神社主祭神・迦毛之大御神(アジスキタカヒコネです!)を祀る神社は、北は青森県から南は鹿児島県まで全国に約三百社あります。福島県一宮の都々古別神社や、栃木県日光市の二荒山神社、高知県一宮の土佐神社、関東方面の秋葉神社等もそうであります。」
私の地元の二荒山神社が賀茂神社系とは。。。
でも主祭神が違うのが、若干の疑問ではあります。
栃木県の北部は、今はそうでもないのですが、二十年以上前は(笑)6月から9月の間は南国なので(笑)スコールがあったのです。
いわゆる夕立です。
しかも雷がもれなくセットです(笑)。
栃木の夏の風物詩でした。
知らず知らずのうちに、プラズマで祓われていたんですねぇ。
今となっては懐かしいアジスキタカヒコネについてはこちら。
また話が飛んだ(笑)。
最後の締めに行った高鴨神社でも天児屋根尊が祀られていました。
高鴨神社には他にも出雲系の国津神である大物主、大山祇神、大己貴命等々、錚々たる面々が祀られていて、市の名前が「御所」というのも、本当に王朝があったのだろうなと思わせるものがありました。
土地も豊かで食べ物が沢山とれるし。
平安京よりも食物生産の観点では豊かだったのではと思います。
葛城氏=秦氏系という説もありますが、祀られている名前を見て、葛城氏=出雲系かなと思いました。
御所、葛城も時の権力によって封印されてしまった地なのでしょう。
そしておそらくそれを封印したのが、中臣氏=藤原氏。
過去を忘れたいのか、平城京 > 長岡京 > 平安京と、どんどんこの地から離れて行きました。
土蜘蛛系列の写真も撮ったのですが、こちらは葛城氏によって平定された背が低く手足が長かった現地の人。
こちらは、まだまとめられそうにもなく(汗)。
そんな高鴨神社の珍しいお守り、「王朝雅御守り」。
お守りは既に結構持っているのですが、思わず買ってしまった(笑)。
存在感のある雅なお守りです。参拝の際には是非購入されてみては如何でしょうか。
今回の旅は、大祓詞でも重要な天児屋根尊に始まって、天児屋根尊で終わる旅でした。
最後にアジスキタカヒコネも出てきて、歴史の謎解き&言霊の一年の最後を締めくくるに相応しい旅となりました。
途中で中臣末裔のおっさんに絡まれたりしましたが(笑)。
天児屋根尊の子孫が中臣氏=藤原氏と、現在は記紀ではそうなっていますが、違う可能性が高いし、その方が歴史の整合性がつくのですが。。。
いい加減、嘘の歴史を語ってきた京都の御所勢には本当の歴史を語って欲しいものです。
でないと日本人は前に進めませんよ。
ある意味、彼らが歴史を捏造し続けることで、人類が進歩せず止まっている側面があるのです。。。
なんかもう全て繋がってるので、全部書いているといつまでも終わらないので、この辺で区切らせていただきます(笑)。
良い週末を!