「本を読むと頭が

良くなる」みたいな言い方、

私は嫌いなんですが。

 

いやだって・・・

 

それが本当なら私は

もっと『頭が良く』

なっていたと思うし・・・

 

いや待てよ、『なって』

やっとのこと

今のレベルなのかしら?

 

ともあれ。

 

本やら論文やらを読むことで

それまでの自分にはなかった

視点を獲得する、というのは

大事なことではないかと

最近の私は思うのです。

 

多面的に物事を

見る練習というか・・・

 

理解力の画素を

上げるというか・・・

 

なんでこんなことを

今わざわざ書いているのかと

申しますと、ほら、私、

「英国のジプシー問題を

理解したい」と最近

イアン・ハンコック著

『ジプシー差別の歴史と構造』と

水谷驍著『ジプシー

歴史・社会・文化』を

読んだじゃありませんか。

 

 

 

 

 

この2冊を読み終えた時点で

私が英国ジプシー問題を

理解できたかというと

全然できていない、

謎および疑問は

深まるばかりなり、な

状態ではあるのですが、

でもなんとなく、今まで

当地にてぼんやりと

やり過ごしていた事象の

『意味』みたいなものが

把握できるように

なってきたのです。

 

 

たとえばですね、

「数年前に私の知人の

スコットランド人殿方が

同じく私の知人の

アイルランド人殿方と

口論になり、とある言葉を

口走ったせいで

拳を交える状態になり

現在もお互い絶縁中」

という話を私は余所から聞いて

「なんだよ二人とも

血圧高いな」とかこっそり

笑っていたのですが、

今思い返せばその

『とある言葉』というのは

アイルランド系トラヴェラーを

侮辱する言葉であった・・・!

 

つまりなんというか本当に

公の場で使ったら

使ったほうの人の神経が

疑われる言葉。

 

使った人が間違いなく

『差別主義者』と

叱られるレベル。

 

ここが理解できてしまった

今となっては私は

「なんでそんな言葉

口にしちゃうんだよ・・・

私に向かって『ジャップ』とか

口論中に言っちゃうような

もんじゃないか・・・

それは擁護できないよ・・・」

という気持ちになるほかない。

 

こっちの土地持ち

(牧場主など)が

基本的に恐れている

『ある日気づくと敷地に

停められている

キャラバン』の話の

複合的な怖さであるとかも

このたびやっと

わかった気がします。

 

結局はこれ、今の

移民問題に

通じる話なんですよ。

 

で、「移民は迷惑だ、

もといた国に帰れ」は

差別的言説とされている、

でもジプシーに

「うちの地域に

来られるのは迷惑だ、

どこか余所に行ってくれ」は

言う人はまだ

言っちゃう、みたいな・・・

 

だってそれは本音でしょ?

みたいに開き直る人もいる、

でもそうした人々は

ジプシーと呼ばれる人々が

何故今も非定住の状態にあるのか

深く考えてみたことはない。

 

私は以前(今、日付を

確認したら2019年5月)に

世の中、わからん事多し

という記事をブログに

書いているんですが、

イングランドで起きた事件で

ある高齢夫婦の家に

武装強盗2人組が押し入った。

 

夫婦の旦那様のほうが

包丁片手に反撃、犯人のうち

1人は逃走、1人は刺されて死亡。

 

旦那様には正当防衛が認められたが

以来この高齢夫婦の家の壁に

刺殺された強盗の親族や友人が

花やカードを飾り付ける事態になり、

身の危険を感じた夫婦は

引っ越しせざるを得なくなった

・・・という話で、で、

この亡くなった強盗君の

お父様とおじさま方(5人)と

従兄弟数名には収監歴がある。

 

それで私はこの時自分の記事には

書いていないんですけど、

この強盗君とその親族は

『トラヴェラー』なんです。

 

ハンコック氏と水谷氏の

本を読み終えた私が思うのは、

その『彼はトラヴェラー』情報は

報道に本当に必要だったのか、

という点と、同時にもう一つは

・・・この事件が今起きていたら

私は果たしてブログで

『彼はトラヴェラー』と

書いたうえで事件に

言及したかな、という・・・

 

言及しない選択をしたら

それは逆差別なのでは

ないか?とも思いますし、

言及するにしてもその言及は

何のためになされるのか?と。

 

要は本を読んだことにより

私は物事を以前より

少し掘り下げて

考えられるようになった、

ということでございます。

 

それはよかったのでございます。

 

 

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