五輪開会式・閉会式鑑賞は私の

秘密の趣味の一つでございます。

 

 

色々言われておりますが

あれは毎大会

『これは外したな』とか

『これは狙い過ぎたな』とか

そういう場面が

あるのが当たり前。

 

ステージが競技場という

スケール的にとんでもない

演出が求められる上に

テレビを通して

式を観る人々がまた

多種多様にも程があり、

つまり演劇や舞踊、

パフォーマンス的なものを

普段目にしていない人にも

「おっ、これは」と思わせる

出し物が必要であると同時に

「週に1度は必ず大劇場に

足を運んでおりますが」

みたいな目の肥えたお客も

喜ばせなくてはならない。

 

同時に大人にも子供にも

『わかる』内容が必要とされる。

 

これは難しいですよ!

 

ですから正しい開会式・

閉会式愛好者としては

心を鷹揚に保ち

『これは滑った』という演出は

ある程度は受け入れるべき

私は思っているのです。

 

 

ただ私は『攻めた演出』の

結果が滑っても許せるのですが

予定調和を狙って失敗して

会場の空気が引くのだけは

許せないというか・・・

 

『攻めた演出』というのは

『私の理解力を超えた

演出』という意味もあって、

たとえば今回の閉会式

緑色の昆布のような鳥のような

奇妙奇天烈なあのダンサー、

私はあれはアリなんです。

 

だって訳が

分かりませんでしたでしょ?

 

あの振り付けも衣装も

なんだったらメイクも

何もかも私の理解の範囲の

外にありはしたものの、

でも私はあの場面、画面に

目が釘付けになりましたよ。

 

その逆の『予定調和の

失敗』というのはですね、

「あ、演出家はこういうことが

したかったんだろうな、

でも失敗しているな」という・・・

 

観ていてこちらが恥ずかしくなる・・・

 

幼稚園のお遊戯会は

子供が楽しんでいる姿を観て

身内(保護者)が喜ぶ、

小学校の学芸会は

子供が頑張っている姿を観て

やはり身内が喜ぶ、

でも玄人の芸というのは

楽しむのはまず第一に観客。

 

お客ではなく自分が

楽しんでしまってはいけない。

 

ある程度の自己陶酔は

必要だけれども

「やだ、自分、すごい、感動」と

演技者・演出者が気持ちよくなって

お客を置いてけぼりに

することだけは避けるべき。

 

まあでも今回の閉会式、

そういうお遊戯会感・学芸会感は

開会式よりは控えめでしたよね。

 

そんなわけで閉会式において

私が低く点数をつけているのは

『代々木公園をイメージした』という

あのパフォーマンスでございます。

 

『やりたいこと』はわかる

(『軽快な音楽にのせての

踊りと軽業で皆様を盛り上げよう』)、

でもやれていないよね?という・・・

 

実際に飛んだり跳ねたりしていた

演者の技量は高かった、でも

『優れた人材の無駄遣い』というか・・・

 

「競技場に観客が入っていれば

数の力で盛り上げられたと

思うんだがな・・・もしくは

パフォーマーの数がこの

4倍ほどいれば・・・せめて

カメラの位置や何かをもう少し

工夫すればお茶の間は

沸いたかもしれないが・・・

ま、まあ同じ場所にいる

アスリートの皆様が

楽しんでいるならば・・・」

 

呻く私の隣で夫(英国人)が

「でもこれ、肝心のアスリートは

パフォーマンスが

見えないんじゃないですか?

競技場が平らだから」

 

・・・だいたいあそこで

スケートボードとかBMXとか

アクロバットとかを披露するって

あの、ここ2週間我々は

世界最高レベルの

スケートボード・BMX・

アクロバット(体操等)の妙技を

散々目撃してきているんですが。

 

あんなのゲーム開始前から

負け試合決定、みたいな

もんじゃないですか。

 

あと私が勘弁して欲しかったのは

最後のあの・・・聖火を消す一連の・・・

 

大女優・大竹しのぶがまた

いちいち画面のこっち側の私が

「これだけはしないでくれ」を

全部やってくれたんですよ・・・!

 

お、お願い、突然

歌い出したりしないで!

 

表情と身振りだけで

感動を伝えようとしないで!

 

走りだしたりしないで!

 

走る時に両手を広げて

情感を表現しようとしないで!

みたいな・・・

 

また大竹しのぶというのが

鬼のごとき表現力の持ち主でしょ?

 

まさに大竹しのぶの無駄使い。

 

こんな役、誰が引き受けたって

会場と世界を冷えさせる

ことしかできないよ・・・!

 

そもそも何故あそこで大人を

出す必要があったのか・・・

 

子役だけで

よかったのではないか・・・

 

そんなわけであの場面と

代々木公園の場面は

『あんなことをこんな場(閉会式)で

やろうと思った人が悪い』というのが

私の結論でございます。

 

『東京音頭』も当初の狙いとは

違う結果になってしまったことは

明らかでございましたが、

でもあれはそれこそ

「コロナのせいで、仕方ない」というか。

 

コロナさえなければ

踊り手の数ももっと多く、

選手たちも踊りの輪に入り、

「客席の皆様もぜひ

手振りでご参加ください!」

みたいなことに

なっていただろうにな、と。

 

それにしても場を『盛り上げる』のに

『集団の力』というのは

大事なんだな、と

しみじみ考えさせられました。

 

人気(ひとけ)のまばらな盆踊りとか

『盛り上がっております』の

ある意味対極にある状態ですよね。

 

常識的に考えれば

閉会式も無観客、というのが

決まった時点でこの出し物は

『出し方』を変えるべきだったと

思うんですが、でもそこはほら・・・

 

『攻めた』結果だった

かもしれないから・・・

 

あ、皆さん私の心根が

腸と同じくらいひねているって

今、思っていらっしゃるでしょ!

 

素直に高得点を

出したい場面もありました!

 

宝塚歌劇団による国歌斉唱とか

追悼の和太鼓とか

オリンピック賛歌歌唱とか。

 

『こういう才の持ち主には

こういうパフォーマンスを

して欲しい』の適正解・

あるいは最適解。

 

都立高校吹奏楽部の

演奏もよかったです。

 

照れのない、地道な練習に

裏打ちされた自信に満ちた

『私の技芸がこちらです』の姿。

 

『こんな技芸を披露しちゃう

私って素敵でしょ』では決してない。

 

まあそれにしても見事なまでに

全体の流れはバラバラというか

デコボコでございましたが

・・・これはあれ?例の

統括演出責任者がギリギリで

解任されたことと関係するの?

 

今回の開会式・閉会式を

素直に楽しめなかった方の多くは

自国開催故の

事前情報過多によって生じた

このような雑念

鑑賞の邪魔をしたのだと思います。

 

他国開催の五輪の閉会式が

こんな感じだったら

我々はもっと素直に心を広く持って

失敗や『滑り』を笑えましたよ。

 

わが夫なんてそこらへん

完全な他人事状態

閉会式終盤は明らかに

私を『慰める』体勢に

入りましたからね。

 

「妻ちゃん、君は自分で

言っていたじゃないですか、

五輪開会式・閉会式は

『ちょっと変』ぐらいが通常、と」

 

「じゃあ君はこれが

『ちょっと変(a little bit strange)』

の範疇に収まると思っているのか」

 

「・・・そうですね、『strange』とか

『weird(風変り)』とかではなく・・・

『idiosyncrtatic(特異な)』・・・

あ、『ユニーク(unique、個性的)』と

形容することも可能かと!」

 

聖火が消えた後、夫は優しく

私の背中を撫でてくれました・・・

 

その優しさの理由は何だ!

 

そんなわけで

東京五輪2020、閉幕です。

 

 

いやーしかしIOCバッハ会長

銀座をぶらぶら観光ですって?

 

選手は出歩き・観光厳禁で

競技終了後2日以内の帰国を

義務付けられていたのに?

 

東京はまだ

緊急事態宣言下にあるのに?

 

なんか本当にこう・・・

素直に楽しめなかった

五輪ではありますよね、今回

 

ところでこの調子で

開会式のことも

書いていいですかね?

 

もうネタとして古すぎます?

 

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