終戦記念日8月15日を前に7月10日の仙台空襲を振り返って | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^^)

 

8月15日は終戦記念日ですね。

 

今年で戦後80年ですかぁ。平成、令和と元号も世代も変わり、戦争に対する認識も希薄になりつつありますが、少なくともアタシたち昭和世代はしっかりこの日を噛み締めてまいりましょう。

 

実はすこっち、先日仙台市にある「戦災復興記念館」に行ってまいりました。

 

知る人ぞ知るなのですが、ここには仙台城大手門再建話が持ち上がった昭和40年代に寄贈された模型がここに展示されているのです。この写真を撮るのが目的ではあったのですが、空襲後の爪痕もしっかりと目に焼き付けて来ましたよ。☹️

 

こちらの入場料はなんと大人が120円 

そして、こちらが前述した仙台城大手門の復模型結構立派でしょ!本当ならばこれが再建され
るはずだったが、、、。(-_-;)

こちらは、先行して建てられたので今も残っている仙台城大手門脇櫓。でも、2036年の大手門復元の際には取り壊されるらしい

知られてないけど、野口増蔵さんの功績は永遠に不滅です!!

こちらがね、昭和20年7月10日未明の仙台空襲で落とされた焼夷弾ってやつ(2種類)

爆撃機B-29が123機来襲して、2時間に渡って合計13,027発の焼夷弾を投下していったというなんとも恐ろしい話。しかもさ、図にあるように透過された親焼夷弾が空中分解して中からっ子爆弾みたいなのがさらに拡散されるっていう、なんともえげつない爆弾だったりする

 

  

戦争長期化で物資が資源が不足したので、硬貨も小さくなり紙幣に切り替わり、挙げ句ははがきのサイズも小さくなっていったっていうね

 

 

左側が召集令状(俗に言う赤紙)こんなのもらってもじぇんじぇん喜べないし、正直誰も嬉しくないのに当時は喜んでみせなきゃいけないっていう無情。そして右側が出生した兵士の遺体が見つからない時用に髪とか爪を入れた袋だってよ。うぅぅ💧、これが帰ってきた遺族の気持ちって、、、。

 

一夜にして瓦礫の山と化した仙台空襲後の仙台の街。1,000人以上方が亡くなった。

ひどい、むごい、無抵抗の民間人を巻き添えにすんなよって。これが同じ人間のやることか!

そして、知る人ぞ知る衝撃の事実!なんと、仙台空襲は2回目も計画されていたのだそうだ。

8月15日に終戦になったので、2回目は無かったがもしあったとしたら、殲滅やないですか。

そしてここには、こんなものまである

さすがに中の氏名と年齢まではお見せできませんが、1歳で亡くなった赤子もいるのですよ。

もし、仙台を訪れる機会がありましたらぜひこの場所に立ってみて頂きたい

ここが、仙台空襲の爆撃の中心点だったそうです(七十七銀行新伝馬町支店のある辺り)

 

「やられたらやり返す、倍返しだ!」は半沢直樹の決めゼリフですが、真珠湾攻撃の倍返しの最終回が、民間人をも巻き込んだこのような悲惨な結末となったわけで、ハンムラビ法典の目には目を的な仕返し論法で憎悪パワーを増幅させたところで戦争が、かっぱえびせん(やめられない止まらない)にしかならないんだよって。

 

仙台牛タンにずんだシェイク、楽天にベガルタ観戦もいいけれど、あなたが戦争反対を望む一人の人間であるならば、ここに寄ってしんみりしてみるのも悪くないんじゃないの。