毎日当たり前に使っている電子レンジの発明者の名前をあなたは知らないでしょ! | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^^)

 

昨今は分からないことは、何でもスマホで検索すればAIも絡んで、何でも答えが出てくる。

 

なので、ある意味老若男女を問わず、知識過多、記憶の倉庫は常に満杯である。

 

がしかし、ここに問題点が一つある。デジタルで得た知識というのは、しばらくするとあっという間に記憶の倉庫からまるで口に入れていた綿あめが溶けて無くなるかのように消えていく。

 

みなさんはそんな経験はないだろうか?

 

そもそも記憶というものは、「暗記」するインプットよりも、「知ったかぶり」によるアウトプットを繰り返したほうが記憶に定着しやすいのだそうですぞ。

 

そのアウトプットの方法は人に話さなくても、ブログやInstagramやXを使っての発信で

もOKI!

 

だからアタシは「へぇ~」とか「なるほど!」思ったことは備忘録も兼ねて、ブログに書くようにしている。

 

ところで、みなさんが毎日のようにお世話になっているアレ!なんだったら1日に三度お世話になっている人もいるかもしれませんね。

 

「電子レンジ」

 

これを発明した人の名前って、知っている人は少ないはず。

 

電球を発明した人や電話を発明した人は偉人として後世に語り継がれるのに、どうして最近の画期的な発明はスルーされるようになったんでしょうかね。

 

電子レンジを発明した方のお名前は「パーシー・スペンサー」さんといいます。

 

彼は、アメリカ合衆国の物理学者、電気技術者、そして発明家で、特に電子レンジの発明者として知られているのです。スペンサーさんは1894年7月19日にメイン州ハウランドで生まれまして、なんと驚くことに正式な教育はほとんど受けなかったんだそうです。

 

独学で知識を習得し、電気工学の分野で優れた才能を発揮しました彼は、アメリカ海軍に入隊し、無線通信について学びました。

 

凄いよねぇ、生まれたのが日本が日清戦争の頃の話だよわ。日本が学制を制定して、「良い子はちゃんと学校に通いましょうね」と義務化しつつあった頃、正式な教育をほとんど受けなかった人が、後世に残る大発明を成し遂げるんだから、世の中学歴だけでは測れない。


彼は第二次世界大戦中にレーダー技術に不可欠なマグネトロンの研究をレイセオン社で行っていました。1945年のある日、彼は稼働中のマグネトロンの近くにいた際、ポケットに入れていたチョコレートバーが溶けていることに気づきました。この偶然の出来事から、彼はマイクロ波が食品を加熱する能力を持っていることに気づき、実験を開始しました。


彼はまずポップコーンの粒をマグネトロンの近くに置いてみました。すると、ポップコーンが弾け始め、マイクロ波が食品を加熱する可能性を確信しました。さらに卵を使った実験も行い、卵が爆発するほど急速に加熱されることを確認しました。

 

はい、はい、ここでみなさんにお聞きしたいです!

 

あなたはポケットに入っていたチョコレートバーが溶けていたとして、「おお、これはひょっとして、マグネトロンが食品を加熱する効果があるのでは?」なんてことに、気づきますか?

 

凡人には、「まあこの部屋の気温と体温でチョコが溶けたんだろう」ぐらいにしか思わんでしょ!そんでもって、「あーあ、ポケットがベトベトやん、カミさんに叱られるじゃん。どうしてくれんのよ。つーか俺が悪いのか、溶けやすいチョコをこんなとこに入れておくから。」

 

ってな感じでしょ!そこからさらに、ポップコーンとか卵に発展しないでしょ!

 

そこが一般ピープルとスペシャルピープルの違いなわけよ。

 

ちなみに、こういう偶然の発見を「セレンディピティ」という。

 

この発見を受けて、レイセオン社は1945年10月8日にマイクロ波調理オーブンの特許を申請する。そして1947年には、世界初の商業用電子レンジである「ラダレンジ (Radarange)」が発売されました。当初のラダレンジは、高さ約1.8メートル、重さ約340キログラムと非常に大きく、価格も約5,000ドル(現在の価値で約7万ドル以上)と高価だったため、主に軍事施設や病院の厨房などで使用されました。


その後、技術の改良が進み、1967年にはより手頃な価格で家庭用の電子レンジが普及し始め、現代のキッチンには欠かせない家電製品となりましたとさ、めでたし、めでたし。

さらにスペンサーさんが凄いのは、電子レンジの発明以外にも、生涯で100以上の特許を取得したんだとか。彼はレイセオン社で上級副社長および取締役会のメンバーを務め、その貢献が認められ、米国海軍から功労勲章を授与され、1999年には全米発明家殿堂入りを果たしたそうです。

 

電子レンジの誕生に、こんなドラマがあったとは、驚きですね。

 

パーシー・スペンサーさんの誕生日は残念ながら過ぎてしまったけど、一応まだ7月ではあるので、「電子レンジ生みの親」を祝って「チン・パーティー」(レンチンものだけ買ってきて楽しむこと)を企画してはいかがでしょうか?

 

さて、アタシも明日から「セレンディピティ探し」でも始めようかな。\(^o^)/


今日も世界中にあの音が鳴り響く!


「チ〜ン」