どうも、すこっちです。(^^)
うちの会社では、事務所のそうじをある会社に委託しているのですが、いつも来る常連のおばちゃんが足を複雑骨折したとかで、かれこれ1年ぐらい休んで来なかった。
その間、代わりの人が派遣されてかわりばんこに来ていたんだけど、その方たちと社員とは特段これといったコミュニケーションもなく、淡々とそうじをして帰っていく、そんな毎日でした。
それが最近、その常連のおばちゃんが復帰したんです。そしたら、「〇〇さん、もういいの?」とか、「久しぶりぃ、元気そうだねぇ」といった感じで、一気に雰囲気が和み、双方がブランクを感じない親密度を解放した光景が展開された。
これを見たとき、アタシは思った。
おばちゃんが今までウチの社員に話し掛けたりしてきた事は、取るに足らないほんの些細な会話が中心だったように思う。でも、そんな一言二言の積み重ねが、人と人との輪を作り出すんだなぁと。
コミュニケーションというものを、なめてはいけないし、軽んじてもいけない。現に目の前で人の心と心がつながった自然なやり取りを見せつけられたのだから。
確かマザー・テレサの名言に「好きの反対は嫌いではなく、無関心である」というのがあったような、、、。
嫌いということは、相手が一応視野に入っているということだが、無関心というのは相手がドラえもんのひみつ道具の1つである「石ころ帽子」をかぶった状態だということである。
無関心の積み重ねが、のちのちマイナス要素を引き出す出来事の起爆装置となる。
一方で、取るに足らない「トルティーヤ」(意味不明)の積み重ねが、民衆の支持を得るということもあるのである。
そうじのおばちゃんの復帰の一コマに、そんな事を感じさせられた、すこっちでした。