どうも、すこっちです。(^o^)
世の中ねぇ、どんどん新しい言葉が雨後の筍のように出てくる。
最近じゃあ、ちょっと気を抜くと置いて行かれて、流行語や最先端の経済用語とかが全くインプットされないまま時が過ぎていく、なんてことがある。
今日たまたま、日曜日の夕方5時から放送している「あ、安部礼司」の放送をradikoで聴いていたら、大日本ジェネラルの大葉部長(番組内の架空の会社の登場人物)がなにやら聞き慣れないワードを発していた。
それが、「マンスプ」という言葉、みなさんはご存知でしたか?
これ、正しくは「マンスプレイニング」というんだそうで、意味はこんな感じです。
マンスプレイニング(mansplaining)とは、男性が女性や子どもに対して、見下すような態度で説明したり、知識をひけらかしたりする行為を指します。
【特徴】
- 女性が説明を求めているわけでもないのに、上から目線で説明する
- 横柄で相手を見下すような態度が見られる
- 場合によっては、女性のほうが豊かな専門的知識を持っている場合もしばしばなされる【語源】
- アメリカの作家レベッカ・ソルニットが、自身の経験を記した2008年発表のエッセイ「説教したがる男たち」へのネット上でのコメントから、自然発生的に生み出された言葉
- 「man(男性)」と「explaining(説明する)」を組み合わせた造語
さらに、巷ではそういうひけらかしをしたがるおじさんたちを影でこう呼んでいるそうな。
「マンスプおじさん」
マンスプおじさんって何? 近年ネット上のスラングでは「マンスプおじさん」という言葉が見受けられます。 これについては定まった定義はありませんが、若者、特に女性にマンスプレイニングをすることで、尊敬されたい、相手にしてもらいたいと望む中高年男性への蔑称として使われがちです。
なるほどねぇ、そう言えばうちの会社にもいるわ、なんかやたらと知識をひけらかしたくて自分よりも立場が下の人や女性や若手に対して「マンスプ」を仕掛けて「マウント」を取ろうとする人が、、、。たぶん、どこにでもいるんだろうけどね。(-_-)
特に男性はこういうの気をつけないといかんですな。アタシもひけらかそうなんて気は毛頭ないんだけど、いつしか饒舌になってしまって、自分ではそういう気はないんだけど「マンスプ」になっていることってないとは言えない。
つまり、この言葉とその意味を知っているだけで、「いかん、いかん、これマンスプじゃん」と
いう意識を持っているだけでも抑止力になる。よかったね、今日のブログを読んだ人でこの言葉を知らなかった人は、ラッキーです。
しかし、昨今のいわゆるハラスメントにカウントされてしまうようなワードはこの「マンスプ」だけにとどまらない。
こんなのもある。
「ミソジニー」
ミソジニー(misogyny)とは、女性や女性らしさに対する嫌悪や蔑視、差別を意味する言葉です。男性から女性に対してだけでなく、女性が女性に対して抱く場合もあります
「女ぎらい」を公言するなど明らかな嫌悪感を表に出したり性差別を行ったりすることだけでなく、無意識に女性を見下している状態もミソジニーの一形態です。セクシュアルハラスメントもミソジニーに該当します。根強いジェンダー・バイアス(社会に浸透している性別に関する思い込みや固定観念のこと)よって起こると考えられています。
「女ぎらい」を公言するなど明らかな嫌悪感を表に出したり性差別を行ったりすることだけでなく、無意識に女性を見下している状態もミソジニーの一形態です。セクシュアルハラスメントもミソジニーに該当します。根強いジェンダー・バイアス(社会に浸透している性別に関する思い込みや固定観念のこと)よって起こると考えられています。
「女のくせに!」とか「これだから女は」なんてのはまさに典型的な「ミソジニー」なんだってよ。まあ、さすがに会社勤めの方はこの辺は意識しているんでしょうけど、心の根底にそういう気持ちがあったら、つい口から出てしまう人はいるでしょうね。
最後に、「トンポリ」
トンポリ(トーンポリシング)とは、発言の内容ではなく、口調や論調を批判して議論を拒否する行為です。特に、怒りを伴う発言に対して、冷静さや落ち着きの欠如を非難する行為を指すことが多い。
・議論の内容ではなく、口調を理由に議論を拒否すること
・相手が主張している内容ではなく、話し方、態度、付随する感情を批判すること
・相手が主張している内容ではなく、話し方、態度、付随する感情を批判すること
・発生論の誤謬に基づいた論点のすり替えの一種とされる
・2000年代初頭にアメリカで広まり、SNSの浸透により世界中に広がった
あーこれは、意外とやる人が多いかも。「何だ、その言い方は!」、「普段のお前の態度がなってない」、「親に対してそういう口のきき方があるか!」などなど、でも親子の口論とかでよく出そうかも。アタシも心当たりがあるなぁ~、反省。🐵
まあ、アメリカからのSNSルーツでいろんなカタカナ用語が今どきのコンプラやガバナンスやハラスメントのグラディウスのオプションみたいにいっぱい登場してきちゃってるけど、つくづく行きづらい世の中になったもんですな。
こうなるとね、叱責、苦言、注意、一喝なんてワードがどんどん死語になっていって、子どもや生徒や部下はいいさ、味方になる反論する材料がいっぱいあるから。一方でね、今までそれが法に触れるとか、問題になるという意識がなかった親や教師や上司はさ、じゃあどうやってこれから先の指導をしていったらいいのだろうかねぇ。
昭和世代と一括りにしてさげすみ、イジる世代が跋扈(ばっこ)する世の中になってしまったけれど、
とんでもないことをしでかしたら、「馬っ鹿もん!」
命の危険に合いそうだったら、「危ねえだろうが!」
という愛の鞭はある意味「必要悪」なのではないでしょうか。