なぜ日本の採用は会社の人事部および総務人事担当だけに委ねられるのか? | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^o^)

 

いやぁ、帰ってまいりましたよ面接授業終わりの郡山から。

 

もうね、2日間の缶詰授業はかなりしんどいものがあります。

 

でも、いいっすね。あらたな刺激というか、学びというか、知らなかったこと、思いもしなかったこと。今までの日常生活で、おそらく平々凡々と過ごしていたら、知り得ることなんてまずなかったような知識を得る、なんて経験そうそうできないでしょ。

 

そういう意味では、お金も時間も体力も使うことにはなる分けですが、悪くないよな遠征面接授業も、、、。

 

でね、今日の面接授業では、ディスカッションの時間を結構取られたのですが、その中で盛り上がっていたのが、「なぜ、日本の会社の採用は人事部門だけに委ねられるのか?」ってことだったんです。

 

先生曰く、「外国ではね、採用に関しては人事部門はほとんどタッチしないんです。採用予定者の面接は現場の管理職が行う。人事は給料をいくらにするとか、手続き関係のことぐらいであくまで黒子に徹するんです。それに引き換え、日本は採用関係のほとんどのことを人事部門が担っている。なんでなんでしょうかね?」

 

アタシはこれを聞いて、目からウロコだった。

 

確かになんで、日本の採用ごとは全部人事部だったり、総務の人事担当が一手にやるんだろうか?よくよく考えてみると、おかしい話である。だって、実際に人材が欲しいのは各現場部門である。ということは、現場の仕事がよく分かっている方が採用予定者の面接に立ち会って、実際に話した感じだとか、人となりや性格を、自分とこのセクションの仕事には向いているとか、いないとかを見極めて、採用するかしないかを決めてもらった方が合理的であり、理にかなっている。

 

なのに日本では、なぜか各セクションの仕事の細かいところまで分からない、目の前の人がその仕事に向いているかどうかの判断も出来ない人事部門の担当者がその役務を一手に引き受け、その人の裁量だけで、採用か不採用かを判断し、採用された人員をその人の主観的な見方だけで、現場に分配されるっていう理不尽さ。

 

これって、なんかおかしいとは思いませんか?

 

アタシが勤める会社もこの論法がドンピシャで当てはまるんだけども、確かにおかしい。

だってね、例えばその人事担当者が人事異動で現場のほとんどのセクションを経験していてね、仕事の内容もある程度把握していて、人望も厚くて、誰もが信頼するような人だったら、その人に委ねても誰も文句は言わないでしょう。

 

でも、そんな人ってそうそう会社にいますか?たぶん、いないよね。

それに総務とか人事って、バリバリ出来る人が配属されてるって感じでも無かったりする。

 

おそらく日本の大半の会社って、「現場は忙しいんだ!面倒なことは本社がやれ!、総務がやれ!それがお前らの仕事だろう!」的な現場至上主義が脈々と受け継がれていて、こびり付いた固定観念が浸透しちゃってて、いまさらどうにも変えようがないって状況なんでしょな。

 

組織には、「機能部制組織」と「事業部制組織」つーものがあって、日本の会社の殆どは「営業部、管理部、経理部、総務部」みたいな区分けの「機能部制組織」がほとんどで、縦割りにした「事業部制」を取っているところは少ない。

 

昔からこうだから、こういう仕組みで長年問題なくやれて来たから。そんな過去の実績の積み重ね最優先の世の中だから、誰も今までの仕組みのあり方なんかに疑問も持たない。

 

誰かが一石を投じようとしても、日本のピラミッド型組織に簡単に風穴は空けられない!

結局、昨日と同じ今日、今日と同じ明日が繰り返されるだけという悲しい現実。

 

良くしよう、良くしたいと思う人はいるけど、老害ゴールキーパーが陣取る守りは意外と鉄壁だったりして、ゴールをこじ開けるのは至難の業というね。

 

人を育てるのが現場であるならば、適材適所の見極めもある程度現場に委ねるべき。

 

そんなことを考えさせられた、面接授業の2日目の一コマでした。