どうも、すこっちです。(^^)
今までは本を読んでいて、知らない言葉が出てきてもなんとなくスルーしていた。
昔は調べるといってもインターネットもないし、分厚い辞書をひっくり返して見たところで、大した説明も期待できなかったような気がする。
それが今は、ネット社会である。検索エンジンはおろかチャット式AIもあったりして、知らない言葉が出てきても、瞬時に調べられるし、えらく深掘りしたサイトなんかに遭遇すると、延々と見てしまう。結果、下手な辞書を調べるよりも、知識が付いたりすることもある。
それにハマる癖がついて、気になったワードは調べずにはいられなくなっている、すこっち。
さて、それでは今日のすこっちの気になるワード、行ってみるとしましょうかね。
ズバリ「冷暖自知」という言葉。
この言葉、なかなかお目に掛からない言葉ですよね。
図書館である本を読んでいたら、登場したこの言葉。
なんでも仏教からきた禅語で、 体験したものでなければ分からないこと。水が温かいか冷たいかは、実際に飲まないと分からないという意味なんだそうで、悟りは人から教えられて理解できるものではなく、本人が悟らなければ理解できないということなんだそうです。 「熱い心と冷たい頭」もまた、実際に行動してみて初めて自覚できることなのだとか。
これって深いなぁと思いませんか?
会社勤めをしている方であれば、なんとなくこれが当てはまりそうなことってないですか?
自分が職場に配属されて、前任者に一通りの仕事のやり方を教えてもらう。その後、一人立して仕事をこなして行くことになる分けですが、とりあえず仕事に穴の空かないように流すことは出来るようになった。でも、仕事の本質というか、しっくり来る自分なりの「仕事観」というのは
前述した説明にある、”悟りは人から教えられて理解できるものではなく、本人が悟らなければ理解できない”という部分がまさにピッタリなような気がするんです。
そこで大事になってくるのが、「熱い心と冷たい頭」なのかもしれないわなぁ。
仕事に流されるということは、「なんとかしなきゃ」という気持ちが先に立ち、目の前の仕事に対して頭が熱くなっているということ、それって「冷たい頭」になってないよね。
逆に与えられた課題に対して、「熱い心」にならなければ、真剣に仕事に情熱を傾けられない。
まさに仕事をする上で「冷暖自知」は外せないキーワードだったりするのかもしれません。
今度は逆にもっとシンプルに「自転車の乗り方」に置き換えてみましょう。
自転車の乗り方を覚えようと、一生懸命、何度も何度も転びながら練習をしていたとする。
親や友達は「あんなの簡単だよ」とか「バランスを保って乗れば簡単だよ」と良かれと思ってアドバイスをくれる。だけど、頭で分かっても、いざ自転車に乗るとそのアドバイスをうまく自分に落とし込めず、もがき苦しみながら「ひっくり返る」を繰り返す。そのうち、周りのアドバイスに逆に腹が立ち始め、「うるさいなぁ」と思うようになり、孤立無援となってしまう。
体中のあちらこちらが傷だらけになり、誰もいなくなり、フッと冷静な自分に戻り、落ち着いて自転車に乗ってみると、意外や意外乗れている、上手く進めている。感じよく乗れたことで気分が良くなり、もっとこの心地良い感覚に浸りたいと思い出す。情熱が湧いていくる。
そしていつしか、自由に自転車を乗りこなせるようになっていたりする。
「熱い心と冷たい頭」そして、「本人が悟らなければ身に付かない」。
これぞまさに「冷暖自知」なんだわね。
明日の朝礼のネタ、決まったね!ぜひ使ってください。(^o^)