水木しげるの「敗走記」に見る日本の軍人の誉れ | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^^)
 
台風7号が南から自転車なみの速度で徐々に日本列島に近づきつつあり、飛行機も新幹線も早々と計画運休を決め始めた西日本。関東辺りにまでこの7号の余波は影響を与えるようで、アタシの住んでいる宮城県でもにわか雨が降るようになって来た。
 
仮に台風が来なかったら来なかったで日本列島は相変わらずのハイパー・サンシャイン・デンジェラス・ビームのお陰で出掛けることもままならない。(-_-;)
 
そんなお盆休みの14日、皆さんはどんな過ごし方をしておられましたでしょうか?
 
アタシはと言うと、もっぱら読書三昧。最近では図書館の漫画コーナーから借りてきた漫画を中心に読んでいました。
 
今回ここで紹介したいのが、水木しげる先生の「敗走記」という作品。
 
これって、水木先生に真山さんという親友がいて、その方が戦死されたのが残念で彼の体験した事実と多少のフィクションを加えて書いた作品なのだそうです。
 
この本には6作品が収められているのですが、この中でみなさんにぜひとも内容をおすそ分けしたいのが、3番目に収められている「レーモン湖畔」というお話なんです。(これは実話)
 
パプアニューギニアのビスマルク諸島にあるニューブリテン島のワイド湾。このあたりの土地は30年前からホセさん一家が椰子を栽培しながら、平和に暮らしておりました。
 
ところが、昭和17年突如としてこの島に、日本軍が上陸しいわゆる「ラバウル占領」が勃発しました。当時のオーストラリア軍は慌ててホセさん家の辺りに逃げてきたんだけど、100人ほどが引揚船に乗れなくて、島に残ることとなった。その間、ホセさんの二人の娘婿が日本人であったため、日本軍にスパイ行為を働かれては困るということで、日本人の夫二人が人質として連行されてしまいました。「裏切ったら、夫は殺すからね」ということなんですわな。
 
このホセさんの娘二人(既婚者)がかなりの美人だったのだそうです。(これ、後で関係してくる)日本軍とオーストラリア軍の戦いが激しくなって、一家はレーモン湖畔に住まいを移しました。皮肉なもので、この住まいを移したレーモン湖畔がオーストラリア軍と日本軍のちょうど境界線あたりだったので、一家はさらなる悲劇に巻き込まれることとなる。
 
日本軍はホセ一家が暮らしていること、そこに二人の美人姉妹がいることはまたたく間の間に知るところとなり、塹壕を掘る作業の間に話すことと言ったら、ゲスな話ですが過酷な状況下で男だけですから、この美人姉妹のことばっかりだった分けです。
 
でね、一部の将校連中なんかは彼女たちの気を引きたくて、鼻の下を伸ばしながら食料やら毛布を差し入れしたりしていたんだって。(あー男なら分かるねーその気持)
 
しかし、あくまでここは戦場。あるときラバウルの司令部から「スパイの疑いがあるので、ホセ一家を始末せよ!」との命令が届く。これには下士官も将校も一様に頭を抱えてしまいます。おそらく命令の意図は十分に理解できるが、始末するのが残酷だということよりも、不謹慎な話ですが、「なんてもったいない」という意味合いの方がたぶん強かったんではないでしょうかね。
 
結局、中隊長の発案で、真面目だった曹長がホセ一家の床下に3日間潜入し、諜報活動をしていないかを探るという行動に出ました。結果、スパイ行為は確認できなかったので、ホセ一家の疑いは晴れたのですが、一家に不運が降りかかります。その数日後に爆撃があり、ホセ一家の住まいや食料が吹き飛ばされてしまいました。
 
食料も水もなく、このままでは餓死してしまうと考えたホセ一家は日本軍に援助を求めます。
でも、この話の流れからして、すんなりと援助をしてくれるとは到底思えませんよね。
ホセ老夫婦が日本軍の会議に出席すると、日本軍の交換条件はこうでした。
「わが中隊の貴重な食料を渡すからには、それ相応の見返りが無くては応じられない。ホセ夫婦の娘二人に我が中隊の兵士を慰めてもらえたら、兵士がどれだけ奮起するか分からない。それでこそ、大切な食料を提供する意味があるというものだ。」
 
ホセ老夫婦は言葉は全部分からなくても、状況を察して奥さんは急に泣き出し、まもなく二人は大声を上げて泣き出した。それは、この世にこんな悲しいことがあるのだろうか、という哀しい声だった。
 
それから喧々諤々の議論となったが、みんなの頭がかえって混乱するということで、話は一転してラバウルへ一家を送り返そうという結論になった。ホセ夫婦は心の底から喜んだ。
かくして、日本軍は残っていた最後のダイハツ(上陸用舟艇)にホセ一家を乗せて無事にラバウルに送り届けた。
 
その後オーストラリア軍の大部隊が上陸し激戦となり、それから2ヶ月後日本軍は玉砕(全滅)した。終戦後、人質になっていた夫二人は無事にホセ一家に帰された。
 
めでたし、めでたし。
 
って、ホセ一家にとってはめでたしでしたが、この話みなさんはどう感じましたか?
 
これはあくまでイメージですけど、日本人だったから老夫婦二人の断末魔の嘆きを重く受け止めて、人道的な手段を講じたんだとアタシは思いたい。そもそも日本人でなければ、そういう状況下で会議に出席させたり、きちんとした言葉で理由を説明して聞かせたり、その後喧々諤々の議論なんかしないと思うんだよね。
 
こういう話を聞くと、日本人ってやっぱ心の何処かに「情」というランプの灯火を持っているんだなと。お盆の迎え火っていうのも、死者の魂を迎えるという心の流儀なんだなと。
 
ニューブリテン島で亡くなった名も知らぬ日本軍の兵士たちに、あっぱれ!そして、心からご冥福をお祈りいたします。m(_ _)m