どうも、すこっちです。(^^)
ようやく1冊の本が読み終わった。
小林よしのりさんの「民主主義という病い」という本
ゴーマニズム宣言などで有名な小林よしのりさん。通称「よしりん」
相変わらず世の中で口に出すことははばかられるようなことを直言してくれる、大変胸がスカッと、スッキリする内容の本なのですが、実はこれ、もともと図書館で借りる予定の本ではなかったんです。郡山の面接授業で教授がオススメしていた本をメモっていて、それを借りようと図書館で探していたら置いてなくて、探している過程でこの本に巡り合ったという分けなのです。
でも、読んでみたらもう内容が濃いのなんのって。漫画なのに、字数が多いんで絵が中心の漫画に慣れている人が読んだら疲れてくるかも。でも、内容はアタシのお墨付きです、読んでおいて損はない。
でね、この本を読んでいて、「へぇ~そういうことだったんだぁ」と関心した内容が一つありましたんで、この場を借りてみなさんにもお裾分けをしたいと思います。
みなさんは、「フランス料理」って聞くと、どんなことをイメージますか?
「高そうな料理!」「美食!」「ミシュランの三つ星レストラン」「エレガント」
いずれにしても、一度は食べてみたい高嶺の花の最上級のお料理って感じですよね。
一方、「イギリスの料理」って聞くと、どんなイメージをお持ちですか?
どちらかと言うと、「美味しい!」の反対のイメージが付きまとうという話を聞いたことがありませんか?
じゃあ、どうしてフランス料理はスーパーサイヤ人的なレベルの料理で、イギリスの料理はdisappointing(ご自分で意味は調べてね)な料理だと言われるようになったのでしょうか?
アタシの長年の疑問に、この本は見事に答えてくれました。
1600年代は絶対王政の時代、フランスはカトリックの王国でした。フランスに美食の文化が発達したのはカトリックの影響がある。
カトリックの教国では、美味しいものへの愛や執念がキリスト教文明の善き作法、趣味の良さとして許容されていて、カトリックの教会では食卓を社交・礼儀を身につける教育の場として捉えられていたんだそうです。
なので、カトリックのフランス・スペイン・イタリアでは「美味しいもの」への探求が盛んになりレベルアップして行ったのに対して、イギリスやドイツなどプロテスタントの国では美食の文化が育たなかったんだって。プロテスタントの国では、料理・食べ物は、飢えを鎮めるためのものであり、余計な食欲を掻き立てることは好ましくないとされていた。
そう言われると、イギリスと言えばフィッシュ・チップスとか、スコーンとかあまり手の込んでいない素朴な料理が連想されるし、ドイツ料理もどちらかと言えば、素材の味を活かす感じの料理が多いようにも思われる。
でね、太陽王と呼ばれたルイ14世の時代にはフランス料理は本格的な高級料理となり、食べ物の色や形、盛り付けや器、テーブルアートに至るまで凝り始め、五感すべてを駆使して楽しむようになっていった。まさに、美食を文化として芸術の域まで高めたのは贅沢を極めた絶対王政だったから為せる技だったのね。
ところが、状況が一変する。
1789年にフランス革命が起き、王様や貴族は国外へ逃亡。彼らが抱えていた超一流の宮廷料理人たちは、一夜にして職を失ってしまう。仕方がないので彼らは生活していくために、市街でレストランを開業する。こうして、フランス市民は超一流のシェフの料理を食することが出来るようになり、美食の一般化が普及したという分けなのです。
革命前にはパリ市内のレストランはいいとこ50軒もなかったのに、革命後の1827年にはなんと約3,000軒に達し、毎日6万人の市民が食事をしていたんだそうで、この頃外国から来たジャーナリストやスパイや使節や議員は独身者が多かったので、レストランは活況を呈して、フランスの食文化はますます隆盛を極めることになった。
つまり、うがった見方をするとフランス革命がもたらした最大の収穫は、民主主義でも自由・平和・平等の理念などでもなくって、実はフランス料理が一般大衆に広まった。食文化が熟成されていったということなんですわな。
みなさんが美味しい、美味しいと食べているフランス料理はギロチンに掛けられた死者の犠牲のうえに成り立っている。多くの血と骸骨が究極の味の下ごしらえになっていたということになるのですかね。
12月ですから忘年会のシーズン解禁ですかな。飲み会の酒のつまみにぜひこのお話、使ってみてくださいませ。(^^)