関わりのない第三者と関わる機会を持つということ | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^^)

 

皆さんは自分と以前からの関わりが有るわけでもない不特定多数である第三者と接したときに、会話が出来たりしますか?自分から当たり障りのない会話を相手に投げかけて、それを糸口として会話が弾んだり、話が広がったりした経験はお有りですか?

 

日本人は欧米人並びに中国人や韓国人などのアジア人種に比べても、こうしたコミュニケーション能力が明らかに低いものと思われる。

 

さらに言うと、東日本と西日本さらには同じ東日本でも東北に住んでいる方は首都圏に住んでいる方に比べると、そうしたコミュニケーション能力は低いのではないかとアタシ的には感じている。

 

なんでまたそんな話を持ち出したのかと言いますと、このブログを継続してご覧になっている方はお分かりかと思いますが、先週土曜日のアタシが竹森くんのライブに行った件、さらには昨日の仙台城ガイドで関西からお越しの方々と接したときに、それを如実に感じたからなのです。

 

普通ね、ライブというものはお互いが共通のアーティストであったり演者を推していることが前提でお金を払ってその場にいるわけで、感覚的には隣同士の方が推しのアーティストを共通言語として、会話をしたり盛り上がってもごく自然なことであるように思うわけです。

 

でも、実際この間の竹森くんのライブでは、右隣は女性のお一人様で、左隣はコアなファンの夫婦二人連れだったのだけれど、結局会話をするような接点はなかった。もちろん、アタシから会話の糸口を仕掛ければ良かったのかもしれないけど、こっちもしょっちゅうライブ慣れしている分けでもありませんし、隣の席だからといって女性に気軽に声を掛けるのに気が引けていたのも事実。

 

淡々とライブは終わり、右隣とも左隣とも会話も交流もなくライブは終了した。

 

確かに個が個として、各々が楽しめたというルーティンはコンプリートしたんだと思う。

 

所変わって、昨日のアタシの仙台城ガイドにおける、例の神戸からお越しになられた女子ーズ5人組とのやりとり。

 

ここでアタシが感じたこと。それは、彼女たちが5人組の旅気分というノリノリ的にアゲアゲな気分が⤴なところも確かにあったのでしょう。でも、そこには「旅行は楽しまなきゃ損!」、「関わる人達とコミュニケーションをして楽しんでなんぼ!」的なオーラ感がなんとなく感じ取れたような気がしたんです。やっぱ、関西というか西日本のノリってこういうものなのかなぁと。

 

同じ匂いをアタシが楽天モバイルパークで楽天対阪神戦を観戦に行った時にも感じた。

売店の店員と関西の阪神ファンのやりとりにも、そういうものを感じたし。

 

確かに不特定多数の第三者と関わることで面倒に巻き込まれたり、厄介なヤツに関わりを求められたりと自分の空間を侵されて、マイナスの要素も無いわけではない。

 

でも、呉越同舟ではないけれど、同じ場にいて、同じベクトルで追い求めている対象があるんだとしたら、それはもう、同じ民族であり、楽しまなきゃ損だという考え方もある意味一理ある。

だってさ、人は人と共通の話題で語り合えることが一番の「悦」なのだから。

 

仮にそういう人々が多かれ少なかれ持っている「警戒心バリア」みたいなものがあるんだとしたら、それを一気に取っ払えるドラクエの呪文みたいなものがあれば、便利なんだろうけどね。それを唱えて、見ず知らずの方々が性別も年齢も境遇も関係なく、目の前で観ている同じ出来事を同じように楽しんだり、悲しんだり、共感できたら、もっと日本の社会は活気づいて、民衆もお金も使うんだろうし、交流も活発になっていくんだろうになあ。

 

デフレ不況で30年も賃金が上がらなかったり、防衛費増税で閉塞感しか感じられない日本の未来だけれども、実際の所肝心な「肝」となることろは、そうしたバリアシールドを取っ払って、右隣の人とも左隣の人とも自然に交流し、絆を深めていけるという「無形の力」を育てて、熟成していくことなんじゃないのかなとアタシは思う。

 

みなさんの「バリアシールド度」はどんなもんですか?